顧客不在の仕事は「運動」にすぎない

顧客を広い意味でとらえれば、経理/法務/総務/人事といった一見すると顧客を持たないように思われがちな部署もまた、社内の別部署や役員会などを顧客として仕事をしている。

会社で働く個々人も、目の前のお客様、上司、同僚などなど、どのような仕事でも顧客を想定できるはずである。というより、どうみても顧客がいない仕事は「エクセル開閉体操的な何か」でしかありえない。

多くの人が「仕事に行きたくない」「働いたら負け」と愚痴をこぼすのは内実としてはこの「無意味な作業」に対してであり、創造的な仕事が嫌いだという人は少数派だろう。

そうでなければ、なぜこうした人たちが休みの日にスポーツや芸術といった「創造的な仕事」に(自分でお金を払ってまで)従事するのか説明がつかない。運動音痴を長年いじられ続けてきた私などスポーツは観るのもやるのも無意味な会議以上の苦行でしかない。

だとすれば「仕事という名前がついているだけの何か」を減らし「真の意味での創造的な仕事」の割合を増やせば、驚くべきことに(しかし論理と割り算さえわかれば誰でも理解できるとおり)、「世の中に提供できる付加価値が増加しつつ仕事も楽しくなる」というパラダイス的/ご都合主義的すぎて疑いたくなるような状況が得られるわけだ。

「精神追い詰めプロレス」は求められていない

だが現実の会社生活・社会生活においてこれに気が付かない人があまりにも多い。

だからこそ、もう終わってしまったことを責めるためだけの会議のような、無意味の極致に手を染めてしまう。

たとえばあなたが課長だとして「課に入ってきた新人が、営業先で出来の悪い提案をしてしまって顧客の信頼を失った」という場合を考えてみよう。このとき「なんでこんな低レベルな資料をお客様に見せたんだ」などと怒ったところで事態が好転することはない。

こうした状況で「緊急会議」と称して課員を集合させて、ついでに部長・局長・おつぼね様といった上長まで呼んでみたりして、みんなで資料不出来新人を吊し上げてみたところで、あるいは部長・局長・お局様と一緒に「最近の子は、ねえ」と愚痴ったところで、そこに顧客は不在なのだから顧客の信頼が取り戻せるわけがない。

なにくそ、それなら、とばかり、あろうことか顧客の前で新人を叱る場合もある。

この場合は相手がよっぽど特殊な趣味を持った顧客でないかぎり、顧客からすればどうでもいい茶番劇に付き合わされたわけで怒りを増幅させるだけだ。顧客が必要としているのは満足できる製品・サービスの提案であって、精神追い詰めプロレス大会ではない。

指を突き出して怒る男
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