「御料牧場のジンギスカン」が三里塚名物に

緬羊会館のルーツも御料牧場の歴史と深い関わりがある。

終戦後、この地域の人々は、御料牧場から払い下げを受けた羊を飼育し、刈り取った羊毛を東京の製糸会社に納め、毛糸やホームスパン(羊毛の生地)を交換するなどして、家計を支えたという。

刈り取った羊毛を東京の製糸会社に納め、家計を支えた
写真=iStock.com/Serg_Velusceac
刈り取った羊毛を東京の製糸会社に納め、家計を支えた(※写真はイメージです)

1954年、羊を飼育する農家が集まって遠山緬羊協会を発足させた。遠山とは三里塚にあった村の名称だ。

この遠山緬羊協会が目をつけたのが、御料牧場で行われていた園遊会で出されるジンギスカンだった。

そこで同協会がジンギスカン料理を提供するために建設したのが「緬羊会館」だった。

三里塚街道は「ジンギスカン街道」と呼ばれた

成田市歴史郷土室の資料にはこう記されている。

「建物の建設は一部の現金出資者を除き、大部分が会員の勤労奉仕でした。奉仕1日=300円〜500円=1株と換算して出資金を集めました。焼肉料理がまだ珍しかった時代でもあり、ジンギスカン料理はあっという間に広まり、三里塚名物となりました」

1960年代以降、三里塚街道には十数軒のジンギスカン料理の看板を掲げる店や旅館があり、ジンギスカン街道と呼ばれたそうだ。