「ジンギスカン発祥の地」には諸説ある

ここで触れておかなければならないのが、ジンギスカン発祥の地は諸説あるという点だ。

通常、ジンギスカンといえば真っ先に思い浮かべるのは北海道ではないだろうか。

確かに北海道では明治時代から緬羊の飼育が行われていた。「緬羊百万頭計画」の中心となったのも、広大な開拓地を有していた北海道だった。

一方の成田は御料牧場があったことから、明治時代のかなり早い時期に羊肉を食べる習慣があったことはほぼ間違いない。

おそらく、この時代に同時多発的に日本人は羊肉を食べ始めたのだろう。

ただし、前出した通り、食肉文化に馴染みが薄かった日本人にとって、羊肉が食文化として定着するまでは時間を必要とした。

ちなみに、ジンギスカンが北海道のソウルフードとして定着したのは、昭和40年代以降だ。

御料牧場移転と空港闘争で一変

一時は「ジンギスカン街道」の異名をとるほど栄えた三里塚だったが、高度経済成長期になると様相が一変する。

中原一歩『寄せ場のグルメ』(潮出版社)
中原一歩『寄せ場のグルメ』(潮出版社)

1969年、町のシンボルだった御料牧場が、新東京国際空港(成田空港)建設のために移転することになるのだ。

それに伴い、三里塚は空港建設反対を掲げる住民と過激派のデモ隊、それを阻止しようとする警察、機動隊が対峙たいじする最前線と化す。

あの有名な「三里塚闘争」の始まりである。

そして、日本の近代化と国際化を象徴する闘争の波は、あの木村さんが暖簾を守る緬羊会館にも押し寄せてくるのだった。

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