稲盛和夫「ただ一つだけ自分を褒めるとすれば…」

1人目は稲盛和夫氏だ。

京セラとKDDIを創業したことで知られる稲盛氏は、2010年、2兆3000億円という事業会社としては戦後最大の負債を抱えて会社更生法の適用を申請し、事実上倒産したJALの会長に就任。わずか2年8カ月で再上場へと導くなど、その功績は計り知れない。

収録したのは、2018年、稲盛氏が86歳の時に行った晩年のインタビューである。

1時間以上におよぶ取材の中で、稲盛氏はこれまでの人生の歩みを振り返ったあと、「今日まで86年間を歩んでこられて、人生で一番大事なものは何だと感じられていますか?」という質問に、次のように答えている。

人生で一番大事なものというのは、一つは、どんな環境にあろうとも真面目に一所懸命生きること。

私が京セラや第二電電をつくり、JALを再建し、素晴らしいことをやったと多くの方々から称賛していただきますが、ただ一つだけ自分を褒めるとすれば、どんな逆境であろうと不平不満を言わず、慢心をせず、いま目の前に与えられた仕事、それが些細な仕事であっても、全身全霊を打ち込んで、真剣に一所懸命努力を続けたことです。

全生命を懸ける努力、世界中の誰にも負けない努力をしていけば、必ず時間と共に大発展を遂げていくものと信じて疑いません。

届かなかった戸籍抄本

そんな稲盛氏にとって、「仕事観の原点」になったと思える逸話がある。

稲盛氏は地方の大学を出て、京都の会社に就職した。しかし、会社はいまにも潰れそうな赤字会社で、給料は遅配続き。これに対し、労働組合は頻繁にストを繰り返している。

失望した稲盛氏は同期の友と相談し、自衛隊に入ることにする。その入隊手続きのため戸籍抄本を送ってくれるよう実家に頼んだが、戸籍抄本は待てど暮らせど届かない。代わりに届いたのは、2歳上の長兄のこんな手紙だった。

「大学の先生のおかげで就職難の時代にようやく入れてもらった会社なのに、何のご恩返しもしないで半年で辞めるとは何事か」