後発ゆえのマーケティングの壁

ソースの製造と販売を開始した1950年当時の佐々木商店は、全国はもとより、当時の広島においても後発のソース・メーカーだった。ウスターソースの有力メーカーは、第2次世界大戦以前から全国各地に存在していたし、広島にも戦後に次々と生まれた街のお好み焼き店にソースを提供するメーカーはすでにいくつもあった。そのために佐々木商店のソース製造は、マーケティング上の壁に直面する。

広島・お好み焼き
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佐々木商店のソースは、すでに先発メーカーと取引していた小売店や問屋には取り扱ってもらえなかった。これではいかに良質なソースをつくっても、その先にいる消費者や飲食店に届かない。ソースの製造事業者にとっては致命的な事態である。

この限界を佐々木商店はいかに突破していったか。そこには、現在のオタフクソースのユニークなマーケティングにつながる、ある行動があった。

余儀なく始めた「直接販売」で得られたヒント

このとき佐々木商店は、メーカー然とした姿勢に終始することなく、問屋や小売店を介さない営業に乗り出した。総出を挙げて飲食店を訪問し、営業を行い、自社のソースを直接納品することに努めたのである。バイタリティに富んだ広島の街の商店らしい行動だった。

この当時、広島お好み焼き、そしてその前身となった一銭洋食に使われていたのは、明治時代に日本に入ってきたウスターソースだった。現在のような少し濃度のあるお好み焼き用ソースは、業務用にも家庭用にも販売されていなかった。そうしたなかで直接販売に乗り出すうち、街のお好み焼き店から「ウスターソースは、鉄板に垂れ落ちて焦げ付いてしまう」「ケチャップを混ぜてお店独自の味を作っている」といった情報をキャッチする。