だが、以上のことを踏まえてもテレビ局が責められるべき大きな「罪」がある。それは、2つの「認識不足」である。ひとつ目は、ジャニー氏の性加害の根底には「少年への人権侵害」という大きな問題が潜んでいるということの認識不足である。
私は35年前、ジャニー氏の同性愛指向を知りながら、愚かにも「少年たちが苦しんでいる」と気がつかないまま見過ごしてしまった。それは「人権侵害」という認識が欠けていたからである。
同じように、テレビ局もそういった認識不足から、「大きな問題」であるとは考えなかった可能性がある。
「週刊誌レベルの話」で「しょせん芸能界のこと」
そしてもうひとつは、「ものごとの重要性」に対する認識不足である。
テレビは今回の問題が騒動になってもしばらく沈黙を保って、報道することはなかった。「週刊誌レベルの話」で「しょせん芸能界のこと」だという意識しかなかった。特にいま新しく起こったことでもないし、ジャニー氏の性的指向は業界人なら昔から誰でも知っているので、取り上げるまでもないと考えたのだ。
以上のような認識不足は非難されるべきであり、メディアとして許されるものではない。当時、身近にいた私も含め深く反省しなければならない。
ではその代わりにいったい何ができたのか。
その問いの答えは簡単には出せない。しかし、いまは答えがないその「問い」をテレビに携わる人間、そしてテレビの電波を財産として保有する私たち一人ひとりが考え続けるべきなのではないだろうか。
さらにここまで記してきた2つの認識不足以上に、「テレビの性癖」とも言える問題がテレビ局と芸能プロダクションの間には横たわっている。
それは、過剰なまでの「忖度」である。今回のジャニー氏の問題にテレビ局の忖度はあったのか。そして、有力な芸能プロダクションへの忖度は本当に存在するのか。次節で紹介する実例を読みながら、読者のみなさんそれぞれの答えを見つけてもらいたい。
誰も逆らえなかった…ジャニーズ事務所への忖度
やはり、まずはこの話題から切り込んでいくしかないだろう。
タレント事務所、芸能事務所への忖度というとイコール「ジャニーズ事務所への忖度」というイメージが今回の問題で強まった。
1980年から1990年代にかけてちょうど私がテレビ業界に足を踏み入れた時期は、ジャニーズ事務所の全盛期であった。
たのきんトリオは健在で、シブがき隊、少年隊、そして前述したような光GENJIの大成功があった。ネクストジェネレーションとして、男闘呼組やSMAPがいた。ドラマを企画しようとすると、必ずジャニーズ事務所のタレントが候補に挙がった。
現在ほど情報社会ではないだけに、一度生まれたトレンドやムーブメントに対して観客はいま以上に敏感だった。光GENJIを真似した小学生たちが、みなローラースケートを肩からさげて学校に行ったという社会現象は伝説となっている。
そんな飛ぶ鳥を落とす勢いの事務所に、誰が逆らえるだろうか。
少しでも歯向かうような素振りを見せようものなら、容赦ない制裁が加えられる。不利益をこうむるのだ。その実例をここに告発しよう。(第2回へ続く)