ジャニー氏は、そういうことをする人だった。

私はジャニーズ担当としてかなりの時間を所属アイドルの少年たちと過ごしていた。光GENJIをはじめとして、男闘呼組、少年忍者(のちの忍者)、デビュー前のSMAP、平家派、ジャニーズJr.……。

自分が関わっているすべての若者たちの誕生日を手帳に記して、その日が来るとプレゼントをあげるのを欠かさなかった。それほどまでに彼らと密に接していた。

だから私が後悔しているのは、あんなに多くの時間を一緒に過ごしていた彼らが「苦しんでいた」ことになぜ気がついてやれなかったのかということだ。

もしそのことに気がついたとしても当時の私の立場で何ができたのか、それは想像がつかない。だが、少なくとも彼らの悩みを聞き、彼らと一緒に悩み、何らかの解決策を模索できたのではないか。そう思えて仕方がないのだ。

テレビ局は「共犯」なのか

今回のジャニー喜多川氏の問題を経て、テレビに関する重要な論点が浮き彫りになってきた。それは、テレビが扱う芸能人および芸能事務所に、テレビはどれだけ責任を負うべきなのかということである。

一部には、テレビ局も共犯者のように非難する報道も見受けられる。

しかし、テレビが芸能人や芸能界の不祥事にどれだけの責任を持てるかというと、「それは難しい」というのが正直な実感である。

撮影中のテレビカメラ
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テレビ局には独自のネットワークがある。例えばあるタレントが不祥事を起こしたとする。すると、夕方くらいには広告代理店(主に電通だが)から電波担当を通じて「明日のどこそこという雑誌にこういう記事が載る」という連絡が来る。そこには、次の日に発売されるはずの雑誌の記事まで添付されていることもある。

そしてそのタレントが出演しているCMや番組の洗い出しが始まる。番組提供からCMを外したり、番組から映像を削除したりするという作業が着々とおこなわれるのだ。

テレビは生身の人間を扱っている。その個々がどんなことをするかまで管理をすることはできないし、それはテレビの役目ではない。

テレビ局が責められるべき2つの大罪

また、ジャニー氏が性加害をおこなっていたことを知りながらジャニーズ事務所のタレントを重用したということに対する非難もあるが、テレビが個人ではなく集合体である以上、そのなかにはさまざまな意見や考え方があるため、統一見解を取ることは難しい。

現在でも、テレビ局の間で「ジャニーズ事務所のタレントを使うか、使わないか」という判断が割れているのがその証拠だ。

ジャニー氏の作り上げるエンタメの世界は優れたものだった。だからタレントは人気を得ることができたし、社会的に支持を得た。彼らを番組に出演させることで、テレビ局が視聴率を獲得していたという現実もある。そんな状況下では、どんな事情があったとしても「有利なパイを使わない」という選択肢はなかっただろう。

よいか悪いかを別にして、テレビとはそういうものだ。