ほされていた川口をサッカースクールに招待

当時のロンドンにやってきたのは選手だけではありません。

円高のいい時代なので指導者が勉強に来たり、Jリーグ関係者がクラブの視察に来たりという時代でした。

サッカー協会の人を案内したり、JリーグのGM(ゼネラルマネージャー)講習会をサポートしたりしているうちに、日本にも人脈ができると同時に、ロンドンで何かと世話をしてくれる人という立場になっていました。

そんなとき、ロンドンの大学で社会学の博士課程にあってサッカーと地域の関わり方を研究するかたわらで、日本の通信社の通信員としてポーツマスを担当していた有元健さん(現在は国際基督教大学上級准教授)から、「車を出してくれないか」という連絡がきました。

当時、ポーツマスでほされていた川口能活を元気づけようと有元さんがロンドンの日本人学校でのサッカースクールに招待したのです。その送迎をしました。

子どもたち200人を相手にしたサッカースクールのあと、みんなで食事に行きました。

一度、ポーツマスの試合に出かけていったことはありましたが、そのときには挨拶だけだったので、それが能活と本格的に話をした最初でした。

エージェントという職業が現実的に

当時の会社での仕事は出版した留学本とともに、新設した指導者のためのコースの運営だったのですが、それが思いのほか好評で、参加者が数十人にもなっていました。

売り上げもまずまずあり、そのために会社は私にビザを取りたいと提案してくれました。

イギリスに渡った当初、知人から言われた「欠かせない人物になる」という第一歩になっていたのですが、会社の経営状態が盤石というわけではないことも察していました。

そんなときに能活に出会い、エージェントという職業が現実的になっていきました。

サッカー関係者のサポートやアテンドをしながら、選手の移籍の流れに日本のエージェンシーがついていけていないことを感じていました。

サッカー界のいろいろな仕事をするうちに、自分に求められているのはエージェントだとはっきりと悟るようになったのです。