プロアスリートはチームの移籍をどのように決めているのか。サッカー日本代表・遠藤航選手をイギリスの強豪・リヴァプールに送り込んだことで知られる代理人の遠藤貴さんの著書『代理人は眠らない 世界への路を拓くサッカー代理人の流儀』(徳間書店)より、一部を紹介しよう――。

川口能活に届いたイングランド2部クラブからのオファー

1996年のアトランタ五輪で、優勝候補のブラジルを下す歴史的勝利をあげた日本の立役者の一人で、日本を代表するGKである川口能活が、イングランドへの移籍を決めたのは2001年10月のことである。

日韓ワールドカップの前年にあったFIFAコンフェデレーションズカップで日本は準優勝し、堅守の中心になった川口は大会最優秀GKにも選ばれ、翌年のワールドカップのメンバー入りも確実視された。

それまでGKがヨーロッパのクラブに移籍する例はなかったが、ワールドカップでの活躍をより現実的なものにするために、より高いレベルでのプレーを誰よりも川口自身が求めていた。

そこに、プレミアリーグの下部リーグであるEFLチャンピオンシップ1部に属していたポーツマスFCからのレターが届く。

言葉の不安はある。しかし、伝説のゴードン・バンクスら名GKを輩出し、総じてGKの位が高いイングランドへの移籍は願ったりかなったりだった。たとえ、それが2部であっても、だ。

当時、川口の移籍には日本のマネジメント会社に籍を置くエージェントがからんでいた。

契約期間は3年。移籍金は推定3億6000万円とされた。

しかし、その金額の裏には、クラブの別な思惑があった。

川口能活
元日本代表GKの川口能活(写真=yoppy/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons

クラブオーナーは「放映権目当て」だった

ポーツマスのオーナーであるセルビア人の事業家ミラン・マンダリッチは、日本のスターGKの獲得によって、テレビ放映権やグッズの権利料などがとめどなく流れ込んでくるという幻想を、川口の背中に見ていたのである。

移籍後ほどなく喫した敗戦をきっかけに、それが幻想であると知った会長から川口はチームを去ることを勧められる。練習場所は2軍のグラウンド。いわば“飼い殺し”である。

渡英して4年目を迎えていた遠藤は、その頃に知り合いを通じて安い中古車を10万円で手に入れていた。その中古車が運命を変える。