「考える時間」に比例して孤独感は増しやすい

若いころは、私たちは孤独な状態を何度も体験しています。でも孤独な状況であったとしても、仕事や勉強、家の用事、趣味や遊びなど、「すること」がたくさんあって、意識はそれらに向かうので、孤独を意識することはほとんどありませんでした。

しかし年を取れば「すること」も少なくなり、体の動きが悪くなり、目や耳などの感覚器官も衰えてきます。すると、「何も行動しない時間」がどうしても増えます。その結果、「考える時間」ばかりになっていきます。

そして、「考える時間」が増えれば、たいていの人は、過去の失敗や人間関係の過ちを悔やみ、不満や辛いことばかり頭の中で反芻してしまうのです。それこそが「孤独感の正体」です。

だからこそ、達磨大師から数えて6代目の中国禅宗の六祖慧能という僧は、「不思善、不思悪こそ悟りの本質だ」と述べたのです。

これは、悟りのためには「いいこと」も「悪いこと」も、思ってはいけないという意味です。

「なぜ? “いいこと”ならば、思ってもいいのでは?」と言いたくなるかもしれませんが、「いいこと」を思えば、必ず、「悪いこと」も関連づけて想起されるもの。だから慧能禅師は、両方とも禁じたわけです。

日本では、江戸時代の名僧、白隠禅師の法祖父にあたる至道無難禅師は、「もの思わざるは、仏の稽古なり」とおっしゃいました。「何も考えないようにするのが、仏の心を持つ稽古(修行)だ」ということです。

また、赤穂事件(『忠臣蔵』の演目で有名)の中心人物の大石良雄の師とされる盤珪禅師は、「記憶こそ苦のもとなり」とおっしゃっています。

結局のところ、ものを思うこと、過去を思い出す時間が、孤独感を作りだすわけです。

食べ物を薬とせよ――野菜や果物を食べ、肉食を減らすべき

人間は、暇な時間があると、どうしても頭の中で孤独感を増すような思考を繰り返してしまいがちです。そして、「食べる」という行為は、それを解消する効果があるということです。

私たちも生物である以上、食べることで、最も基本的な幸福感を得られるわけです。そう、「私は何かを食べている」という実感を得るだけで、人は幸福になれます。

いえ、今食べていなくても、食べ物を得るための行動、たとえば調理や食料の買い出し、さらには狩猟や耕作などをしていれば、思い悩むことはありません。

逆に、何も食べてもいないし、「食料を得るための行動も起こしていない状況」を、人は一番、恐れるわけです。

でも、手軽に食べ物が手に入るようになった現代では、暇をもてあまして孤独感を覚えるたびに、ムシャムシャと食べているようでは、やはり健康を害してしまいます。私も子供のころからの大のおせんべい好きなので、うっかりするとすぐに何枚も食べてしまいます。

そこで大切になってくるのは、「食べ物」と「食べ方」です。

紀元前5世紀から4世紀のギリシャの医学者、ヒポクラテスは、「食べ物を薬とせよ、薬を食べ物とせよ」という教えを説きました。

果物の山
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これは今までに、さまざまな研究結果でも示唆されており、現代でも「正しい食べ物を選ぶこと」は、健康な消化管を維持するうえで最も大切なこととされています。

私たちは、特により多くの野菜や果物を食べ、肉食を減らすべきです。

その教えは、古代ギリシャの時代からあったのです。それなのに、肉の成分のトリプトファンからセロトニンという物質ができ、「それが多くなると元気になる」という説が提唱されると、「肉は人を元気にする食べ物」として推奨されるようになります。

肉を食べ、日光を浴び、ゆっくり呼吸をすると脳内のセロトニンが増え、うつを防ぎ、不安感のない脳を維持できるとされたのです。

20世紀の終わりごろには、「うつ病患者の脳脊髄液を採取すると、その中のセロトニンの量と、セロトニンの分解産物の5-HIAA(5‐ハイドロキシインドール酢酸)が減っている」という報告がなされました。

すると、セロトニンを増やす肉を食べることは、うつの予防や治療に効果的ということになります。

ところが最近の研究では、「うつ病の患者の脳のセロトニンは、減っていないどころか、増えている」という事実が明らかになったのです。だから、いくら肉を食べたところで、うつの進行が抑えられることはありません。