私がコロナ禍における感染症の専門家たちの会議の結果を見て、もっとも問題だったと思うのは「コロナという病気にさえかからなければ、ありとあらゆることを犠牲にしていい」という主張がまかりとおっていたことです。
たしかに、感染症の予防という観点では、自粛生活は効果的だったかもしれません。おかげで、コロナだけでなく、肺炎やインフルエンザの患者数も激減しました。ただ、考えるべきは、感染症にならないために、ほかの生活をすべて犠牲にしてよいのかという視点です。
日本の医師たちが推奨する過剰な感染対策により、高齢者は外に出られなくなりました。その結果、筋力が弱って歩けなくなったり、精神的に参ってうつ病が増えたり、人と話す機会が減って認知機能が低下したり……といった弊害が起こりました。
大半の日本の医者は、患者の心の治療についてはほとんど踏み込まないですし、知識がありません。ですから、「それだけ長期間閉じこもっていて人と喋らなければ、うつ病や認知機能に支障が出る人が増えてしまう」という考えが生まれなかったのです。
日本のコロナ自粛は間違いだらけだった
だからこそ、専門家会議と称する専門バカな人々が、会議で集まって議論しては、ひたすら感染対策の徹底を訴え、自粛を要求し、高齢者は子供や孫と会わないよう指導しました。この対策は明らかに間違いだと思いますが、専門家たちは「死者も感染者数も少なかったのだから、日本のコロナ対策は正解だった」と言います。
高齢者の多いスウェーデンやフィンランドでは、なるべく自粛政策を行いませんでした。それでは、要介護高齢者が急増すると考えたからです。
ところが、もっとも高齢化率の高い日本は、世界で一番長い自粛政策を取りました。彼らの行った感染対策の最大の問題点は、長期的視野が欠けている点です。この後遺症として、5年もしないうちに、要介護者がものすごい勢いで増加しているだろうと私は思っています。
つくづく日本の医者たちは、目の前にいる患者さんの状態や、その患者さんの先々にどのようなことが起こるか予想をする能力が著しく乏しいとよくわかります。
患者のその後の人生がどうなろうと、目の前の病気さえ治れば、あとはどうでもいいと考えているのでしょう。
患者の心を軽視する医者の特徴…余命宣告を短く言う
医者が患者さんの心理的な悪影響を考えていないとわかる場面が、「余命宣告」です。みなさんもドラマなどでご存じだと思いますが、がんをはじめとした命にかかわる重大な病気を患っている患者さんに対しては、医師から余命宣告が行われることがあります。
そして、現実の余命宣告は、ドラマ以上にドライで無感情に行われるようです。当然のことですが、無表情の医師からいきなり「あなたの命はあと三カ月です」などと言われれば、誰しも大きなショックを受けます。