ただ、それからさらに十数年が経ち、私が入社したときには、また社会状況は変わってきていました。

私は入社後ほどなくして、小池会長に、

「いま一度、湖池屋を名乗り直しませんか。湖池屋に戻しませんか」

と提案しました。

会長は最初、驚かれたようでしたが、すぐに意図を汲んでくれました。

スナック界の「虎屋」を目指す

私は、いまの時代は、カタカナの会社ではなく、もっと息づかいが聞こえるような日本人のみんなが知っている「湖池屋」がしっくりくると思っていたのです。

社名を「湖池屋」に戻すことで、和菓子の「虎屋」、あるいは鮨屋の「久兵衛」「すきやばし次郎」といった老舗感、人間味、暖簾感、そのような価値を改めて主張したかったのです。

「湖池屋ストロング ポテトチップス 濃サワークリームオニオン」
「湖池屋ストロング ポテトチップス 濃サワークリームオニオン」(写真提供=湖池屋)

室町時代に創業した「虎屋」。この老舗感、暖簾感は、本当にすごいと私はかねてから思っていました。伝統を引き継ぎながらも革新を忘れず現代の商売へとつなげている。学ぶことは数多あまたあり、私は、歴史の違いはあれど、「湖池屋」がめざすべきひとつの姿は、スナック界の「虎屋」にあり、と思い描いたのです。

また、デパートの地下にもヒントはありました。いわゆるデパ地下にはさまざまな老舗が出店していて、名物が売られ、駅弁が並び、和菓子・スイーツが充実している。そこには、職人がいて、パティシエがいて、アーティストがいる。そうしたクリエイターたちが最大限の熱量を込めてつくった商品を求めて、たくさんのお客様がやってくるわけです。

この「虎屋」やデパ地下が抱え持つ老舗の重さ、熱量、手作り感、個性、古き良き伝統、職人技……そういったものが大事だな、大切にしたいな、と思ったのです。どこかしっとりとしていて、とてもスナックを出しているとは思えないようなクオリティの高い会社。そのためには、「湖池屋」という名前は絶対でした。

創業者・小池和夫の熱量、こだわりを現代に

入社して半年ほど、私は、しばしば夜中に飛び起きてはメモをとる、ということを繰り返していました。創業者・小池和夫の作り出した「湖池屋」。日本人の味覚に合うポテトチップスをとことん考えて「のり塩」を生み出した。何度も何度も試作を繰り返す姿を当時の社員に見せた。

この熱量、こだわりをいまの時代に復活させなければならない。もう一度原点に戻り、創業者の知見を現代に昇華させる。新生・湖池屋のシンボルとなるような商品でもう一度お客様の信頼を得る。そんなものづくりの姿勢が大切なのではないかと考えた。

料理を作るように、ポテトチップスをつくってきた。
写真提供=湖池屋
料理を作るように、ポテトチップスをつくってきた。創業の原点が湖池屋復活のカギになった。