非自民の前原氏、政策実現の玉木氏
筆者は昨年4月に公開した「やがて自民党に吸収されるだけ…国民民主党がまんまとハマった『提案型野党』という毒饅頭」という記事の中で、旧民主党系の議員には、世代によって政治に対する考え方に大きな違いがあることを指摘した。
前原氏は、30年前の細川政権誕生前夜から小選挙区制の導入の前後に国政入りした世代だ。大きな政変を若手議員として目の当たりにした経験から「自民党に選挙で勝って政権を奪い取る」意識が強い。「保守かリベラルか」といった違いに関係なく、彼らは総じて「非自民」志向である。ちなみに、立憲民主党の枝野幸男前代表や野田佳彦元首相も、このグループに入る。
一方の玉木氏は、民主党が政権を奪取した2009年に初当選した。自民党から政権を勝ち取る野党の長い戦いを経験せず、いきなり政権与党の一員となったのだ。
玉木氏のように、民主党政権発足前夜以降に政界入りした世代は、上の世代に比べ、政権を「戦って勝ち取る」感覚が薄い。野党的な批判的振る舞いを好まず「自民党政権と協調してでも政策の実現そのものを目指す」スタンスを取りがちだ。
なぜ代表戦後に「ノーサイド」とならなかったか
民主党に勢いがあった間は、こうした所属議員の肌合いの違いも、一定程度吸収できた。しかし、2012年に同党が下野して以降、こうした違いはむき出しのものとなった。17年の「希望の党騒動」によって民進党(民主党から名称変更)が分裂すると、立憲に議席数で水をあけられ「保守系第三極」的な立場となった国民民主党は、代表の玉木氏が立憲への対抗心もあって「与党寄り」姿勢をさらに強めていった。
「非自民」志向の前原氏が、玉木氏の方向性に耐えられない思いを抱いたのも無理はない。今年9月の党代表選では、2人はまさに政治路線をめぐって真っ向から戦った。
政治路線をめぐり、ここまで互いに相容れない明確な対立構図ができてしまっては、もはや「ノーサイド」はあり得ない。記者会見で前原氏は「『自公国』と言われ『連立入り』とも目されている。私の政治信念とは違う」などと述べ、暗に玉木氏の姿勢を批判した。離党は必然だった。