ソクラテスは「弁論術に溺れるのは危険」と説いた

さてここまで、アリストテレスの「ロゴス・エトス・パトス」について説明してきたわけですが、このような考え方、つまり「言葉によって人を動かす」という、「そもそもの考え方」に強く反対していたのが、アリストテレスの師匠筋に当たるソクラテスでした。アリストテレスの主張するような「弁論術」というスキルに溺れることの危険性がよくわかるのでここに紹介しておきたいと思います。

リーダーシップにおける「言葉」の重要性に、おそらく歴史上最初に注目したのはアリストテレスの師匠筋に当たる哲学者、プラトンでした。プラトンは著書『パイドロス』の中で、リーダーシップにおける「言葉の影響」について、徹底的な考察を展開しています。題名の「パイドロス」というのは、ソクラテスの弟子の名前ですね。

プラトンは、この著書『パイドロス』の中で、彼の師匠であるソクラテスと、その弟子であるパイドロスの架空の議論という形で、リーダーに求められる「言葉の力」とは、どのようなものだろうか、という議論を展開しています。

レトリックは人心を誤らせる「まやかし」

この議論の中で、アリストテレスが重要視したレトリック=弁論に対置されているのは、ダイアローグ=対話です。非常に興味深いことに、『パイドロス』では、リーダーにはレトリックが必要だと主張するパイドロスに対して、ソクラテスがこれを批判し、真実に至る道はダイアローグ=対話しかない、と説得する構成になっています。

ソクラテス(写真=アルテス博物館蔵/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)
ソクラテス(写真=アルテス博物館蔵/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

なぜ、ソクラテスがそういうことを言うのかというと、レトリックというのは「まやかし」だというんですね。言葉巧みに弁舌を振るって、人を動かしてしまうような技術というのは、人心を誤らせる、ということです。これが、アリストテレスの「弁論術」に対する強烈なカウンターになっていることがわかりますね。確かに、ヒトラーの魔術的な演説の力を知っている現代の私たちにとって、このソクラテスの指摘は説得力があります。

だからこそ、ソクラテスは「リーダーこそ、レトリックに頼ってはいけない、そんなものに真実に至る道はないんだ」と諭すわけですが、一方のパイドロスは、言葉巧みに弁舌を振るう哲学者や政治家に「カッコエエなあ」と憧れていることもあり、「やっぱりレトリックは大事じゃないか」と反論する、そういう議論がずっと続いていくという構成になっています。