日本兵の給料の360倍稼ぐ慰安婦もいた
彼女たちは本当に可哀そうであるが、「親に売られた」という思いは、慰安婦だけでなく、当時合法であった性産業(公娼、私娼)の数十万の従業員たちの多くが経験したことだった。
駐屯地でも、司令官は慰安婦の営業許可書と契約書の有無をしっかり確認した。スパイが紛れ込んでいては自分たちの身が危なくなるからだ。
契約期間、つまり年季はだいたい半年で、延長しても2年ほどだった。公娼の平均5年に比べて極端に短いが、それは戦地が危険だったからだ。ただし、戦争中のことなので、状況によっては、帰れなくなることもあった。
また収入も1・2等兵の給料が5円50銭だったのに対し400円から2000円だった。そのほとんどはチップだった。明日をも知れないと思った日本兵士の多くは、有り金のほとんどをチップとして与えた。
慰安婦のなかには、家や土地を買った人も多かった。ダイヤモンドなど貴金属買う人もいた。ただし、戦後の混乱で、貯金が引き出せず、そうこうしているうちに持っている日本円が無価値になってしまった人も少なくなかったのも事実だった。もちろん、これは日本のせいではない。
「日本軍は関係ない」と主張していた日本政府
いずれにしても、強制連行などありえず、性奴隷もとうていあり得ないということだ。
ではなぜ、日本政府は、犯してもいない罪を認めることになったのだろうか。
慰安婦のことが初めて日韓政府間で問題とされたのは1992年の宮澤喜一首相訪韓のときだ。それまでは日本政府は、慰安所は民間業者が経営したもので、日本軍は関係ないと主張していた。しかし、朝日新聞が1992年1月11日「慰安所 軍関与示す資料」が報じられると一転して、全面的に日本軍の関与を認めた。
実際には、この記事に引用された陸軍の通達は、日本国内で慰安婦を募集する際、募集を任せていた民間業者が、軍の威光を笠に着て、女性を騙したり、誘拐まがいのことをしないよう官憲に取り締まり強化を求めるものだった。
要するに、女性に対して違法行為が行われないよう、女性が守られるようにという趣旨だった。