「主体的にやりなさい」は教育者として失格
私は考え直した。
本当は「主体的にやりなさい」と言った時点で、教育者として失格なのだ。
学生たちが、自らやりたくなるように仕向けなければいけないのだ。私は彼女を呼び出して叱ったことを深く反省した。
「満藤さん、ごめんね。今、言ったこと全部忘れてくれる?」
満藤さんは、キョトンとした顔で不思議そうに帰って行った。
さすがの満藤さんも今回ばかりは、私の考えてることがわからなかったようだ。
しかし、心配はいらないものである。
あの一件で、満藤さんは「ライス先生の中身はポンコツで、アテにならない」という大切な真実に、やがて気がついたようだ。
そして、自分で考えて行動するようになったのである。
そのことに気がついてからの満藤さんの成長ぶりは、本当に目を見張るようだった。
先生をアテにせずに、研究を思うように進めて、最後には国際学会に先生を置いて出掛けていって、ひとりで発表をしてきた。
「先生がアテにならないって本当に大切だな」と、しみじみ思う。
私はいかに「教えない先生」になったのか
思い出すのは、私の学生時代だ。
そもそも、私が雑草学を志したのも、先生が教えてくれなかったことがキッカケなのである。私は、畳の原料となるイグサをポットで栽培していた。
ところが、ポットから、何となくイグサに似ているが、明らかにイグサではない植物が生えてきた。
つまりは、雑草である。
「先生、この雑草、イグサに似ているんですが何ですか?」
さっそく、指導教授に質問すると、教授はこう答えた。
「花が咲けば、図鑑で調べることができるから、花が咲くまで置いておきなさい」
おそらくは、指導教授はその雑草の名前がわからなかったのだろう。もし、名前を知っていて、そう指示したのだとしたら、相当の名伯楽である。
かくして、私はその雑草を花が咲くまで置いておくことになった。
イグサがどのような成長をするかは、ものの本にくわしく書いてある。
隣に生えている雑草は、どのような成長を遂げて、どのような花を咲かせるのか、まったく予想がつかない。私は雑草の観察に夢中になった。
そして、知らず知らず私は雑草に興味を持つようになったのである。
このとき生えていたイグサ科のコウガイゼキショウは、私にとって記念すべき雑草である。
もし、指導教授が「それはコウガイゼキショウというイグサ科の雑草だよ」と教えていたら、私はこの雑草をじっくり観察することはなかっただろう。その名前を覚えることもなかったかも知れない。おそらくは、その雑草を抜いてしまって、それでおしまいだったはずである。
先生が教えてくれなかったからこそ、私は雑草の研究者になった。
そして、私は「教えない先生」となったのである。