「指示待ち型」の人を変えるにはどうしたらいいのか。静岡大学農学部教授の稲垣栄洋さんは「進学校出身の学生には『指示待ち型』が多い。指示待ち型と呼ばれる人は一般的に優秀で、どんなに難しい指示であっても指示に従ってやり遂げる。しかし、指示待ち型は、楽しくないので、彼らを主体的に動けるようにしてあげたいと考えていた」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、稲垣栄洋『雑草学研究室の踏まれたら立ち上がらない面々』(小学館)の一部を再編集したものです。

当てはまる項目にチェック
写真=iStock.com/D3Damon
※写真はイメージです

進学校出身の学生に多い「指示待ち型」

バイオリンが得意な満藤まんどうさんは、もともと、とても優秀な学生である。

しかし、ひとつだけ気になることがあった。

それは、彼女がやや「指示待ち型」であるということである。

とにかく、私の顔色をうかがい、私が何を考えているのかを察しようとする。そして、私が期待するような「正解」を正しく導いてしまうのだ。

「満藤さんは、どう考えているのだろう? 満藤さんは、何をしたいのだろう?」と彼女の考えていることを察しようとしても、彼女は先回りして「私が考えていること」を察しては正解を出してしまう。

まるで出題者の意図を察知して答えを導き出す受験生だ。

じつは、進学校出身の学生には、「指示待ち型」が多い。

受験では、答えのある問題を解き続ける。すべての問題に答えがあり、あらかじめ解き方がある。そして、それを要領よくこなしていく子が優秀と褒められる。おそらくは、それを繰り返しているうちに、否応いやおうなしに用意された答えを探す学生になってしまうのだろう。

「私の中に答えはないよ。答えは満藤さんの中にあるのだから」

しつこくそう言っても、満藤さんは私の中に答えを探しに来る。

いかにして主体性を引き出すか

研究はわからないことを明らかにするという、ある意味で未知への挑戦である。指導教員であっても答えを持っているわけではない。指導教員と学生が共に、答えを探し求めなければならないのだ。それが、研究である。

もちろん、研究だけではない。

世の中は「答えのない問題を自分で作り、答えのない問題を解く」その連続だ。

特に現代は、先のわからない時代と言われる。学生たちも卒業した後は、誰も答えを知らない世界で生きていかなければならないのだ。

満藤さんは、研究もよくできるし、レポートを書かせれば文章もうまい。おまけに英語も得意だ。物足りないのは主体性だけである。

いかにして、彼女の主体性を引き出すかが、私が彼女に対して考えていることだった。

私は彼女を呼び出して、こう諭した。

「満藤さんは、もっと主体的にやらないといけないよ」
「ん?」

私はそう言いながら、「何かこの言葉、おかしくないか?」――と、自分で自分のことがおかしくなった。

だって、そうだろう。

何しろ「主体的にやりなさい」は、それ自体が指示である。

主体的にやりなさいと言われて、主体的になることは、もはや主体的ではない。

「ん???」

自主性や主体性って、いったい何なのだろう?