「これ以上は親のレールに乗れない」と悩んだ
しかし、そんな私が初めて上手くいきそうもないと不安に思ったのが自分のセクシュアリティでした。どう考えても同性が好きなのです。それを認められずだいぶ抵抗もしました。
「もうちょっと成長すれば女性が気になって気になって仕方がなくなるはずだ」「男性に惹かれているように思えるのは気のせいだ」なんとかそう思おうとして待ちました。でも無理でした。
自分がゲイだと認めると、これ以上は親のレールに乗れないことを意味します。だって親が次に望むのは、結婚、孫の顔に決まってますから。この時代私は悶々と悩んでいましたが、やがて悩んでも仕方がないことに気が付きました。
自分は自分だと。悩むことでもないと。レールに乗る必要もないし、誰かと比較することもないと。ただ誠実には生きていこうと、それだけを決意しました。
開き直ってみると、他人と比較して落ち込むことも、優越感を抱くこともナンセンスだと体感的にわかるようになりました。そもそも違う人生なのですから。だから、比較することに意味はないとまずは知ってください。
ただ比較してしまうのは、理屈ではなんともならないかもしれません。
そこで「比較しない方法」についてお伝えしましょう。実は他人と比較してしまうのも「頭がお暇」な証拠です。
頭がお暇になるというのは目の前のことに集中できていないということ。目の前のことに集中していないから、どうにもならないことを考えてしまう。頭がお暇な証拠は「どうにもならないことを考えている」ことなんです。
たとえば過去のことや、まだ起きてもいないことで不安になることなど。もちろん他人と比較してしまうこともどうにもならないことの一つです。
他人ではなく「過去の自分」と比較する
では頭がお暇な状態からどうしたら抜け出せるのか。それは考える価値のある、今のことを考え実行するようにする。それしかありません。具体的には、比較するなら他人ではなく、過去の自分と比較する。そして、将来なりたい自分と比較するのです。
過去の自分と今の自分を比較すれば、自分が何を成してきたのかがわかります。それは自信や勇気にもなるでしょう。もしかすると、できなくなっていることもあるかもしれません。自分がこれから何をすべきかの指標になるでしょう。
そして将来なりたい自分と今の自分を比較する。そうすれば今からやるべきことや目標が見えてくるはずです。あとはそれを実行するだけです。
他人という考えても仕方のないことにクヨクヨしていた自分の意識を、今の自分に戻すことができます。気が付けば他人のことなどわりとどうでもよくなっているでしょう。この方法が王道で一番いい方法なのです。