意外な老後の姿
その後は30代のときに70歳を超えた藤原棟世と再婚し、娘(小馬命婦)を産んだが、まもなく棟世は亡くなり、晩年は兄の致信と同居していたという。しかし致信が寛仁元年(1017)に争いに巻き込まれて殺されてしまい、その後は各地をさまよう落ちぶれた生活を送ったと鎌倉時代の書物などに記されている。
だが、それほど豊かな老後ではなかったかもしれないが、まだ子供たちが健在だったので落魄したというのは、単なる伝承に過ぎないようだ。死去は万寿2年(1015)頃とするのが有力である。
いずれにせよ、華やかな宮廷生活は2年程度に過ぎず、あとは定子一族が落ちぶれていく時期であったが、研究者が口をそろえて述べているように『枕草子』には、そうした悲壮さや悲しみはまったく感じられない。極めて明るい希望に満ちた、にやりと笑みがこぼれるような話が多い。ぜひ一度みなさんも全編を読破してみると良いかも知れない。