「財産とは自分の身に付いたものだ」

この人はもう古い人ですが、ウィーン生まれで、お父さんはオーストリアの貴族でした。何が起こったかというと、第一次世界大戦が起こりまして、ご存じのようにオーストリア・ハンガリー帝国というのが分解してしまいます。今の小さなオーストリアになっちゃった。そしてセリエのお父さんは、自分が先祖代々持っていた財産を失います。

それで亡くなるときに、息子に言う。それが、財産とは自分の身に付いたものだ、ということなんです。お金でもないし、先祖代々土地を持っていたって、そういうことがあれば結局なくなってしまう。だけれども、もし財産と思えるものがあるとすれば、それは墓に持っていけるものだと。

お墓に持っていけるものというのは自分に身に付いたものです。家も持っていけません。土地も持っていけません。お金も持っていけないですが、自分の身に付いた技術は墓に持っていける。だからそれが自分の財産だと。

若者がポジションに執着するのは気の毒

そういうふうな非常に強い社会的な変化を受けて生きてきた人は、みんな同じことを言うみたいで、考えてみるとうちの母もそうなんですね。戦争を経験していますし、関東大震災も通っていますし、そういうところを通っていますと、やっぱり財産というのは身に付いたものと考えるようです。

今の若い人はよくお金のことを言うんですが、そうじゃなくて自分の身に付いたものだというのは、極端な状況を通らないとなかなか悟らないことです。セリエのお父さんが墓に持っていけるのが自分の財産であると言っていたように、やっぱり身に付いたものが財産であると。

現代の状況を見ていますと、若い方は全然違うことを考えているような気がしないでもないですね。僕は大学に長いこといましたから、率直に申し上げますが、例えば大学で中堅どころ、20代、30代の人が何を考えているかというと、いかにして自分のポジション、社会的な位置を確保するかということをいつも考えています。これは気の毒だなと思っていました。

私のころは、そんなことは考えませんでした。解剖をやったのはなぜかといいますと、医学部を出て解剖なんかやったら食えないよというのが世間の通り相場で、食えないところで何とか生き延びているんですから、それだけでありがたいと思っていたわけで、これ以上どうとかということを考えないで済んでいました。