誰からも問題視されない「デマ発言」

一般質問での発言がデマ情報だということを、髙橋議員、にかほ市長とも、私が取材を申し込んだ10月上旬まで「知らなかった」と説明した。髙橋議員はこのデマについて「全国の地方議員が学ぶ勉強の場で、ほかの議員が紹介した事例」だと取材で語った。この勉強会に参加して情報を得た議員たちは、いまだにこのデマを「事実」だと思い込んでいるのだろうか。

秋田県にかほ市の市川雄次市長
秋田県にかほ市の市川雄次市長。一般質問での発言がデマ情報だということを「知らなかった」と説明(写真=内閣府 地方創生推進室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

このデマ発言は、残念ながら地元秋田では「スルー」されている。

髙橋議員は「差別の意図はなかった」と言い、市川市長は「そんな意図はなかったと思う」と擁護。にかほ市議会ホームページの議事録YouTube動画には、デマ発言が今もそのまま残されている。地元の各メディアはこの問題発言を一切、報じていない。取材した私自身の発信力のなさが原因ではあるが、反応がないということは「問題だと思っていない」ことを意味しているのではないか。

報道のチェック機能が弱体化している

そもそも私がこのデマ発言をつかんだのは、6月議会から4カ月後のことだった。自力でつかんだわけではなく、住民が「やり取りを聞いていて差別的だと感じた」という情報を私の知人に寄せたことがきっかけで、たまたま知ったのだ。

この経験から見えてきたもう一つの問題は、議会をチェックするメディアの弱体化だ。これは全国共通の課題だと思っている。

新聞社、テレビ局とも人手が減る一方、業務量は増え続けるなかで、じっくりくまなく議員の発言を分析する時間が、記者たちにあるだろうか。違和感を覚えても、仕事に追われ、流してしまう可能性がある。

さらに、メディア内部が多様性に欠けていることも影響している。たとえば女性の人権、子育てや介護の中で生じる問題、LGBTQ+への誹謗中傷に敏感に反応する記者がいなければ、問題発言はスルーされる。仮に記者がキャッチして「問題だ」と思っても、取材を指揮するデスクやさらに上層部が「こんなのが問題か?」と言えば、その発言は「なかったこと」になる。