パレスチナ自治区「ガザ地区」を実効支配するイスラム組織「ハマス」とイスラエルとの戦争が激化している。なぜガザ地区が戦争の舞台となってしまったのか。戦史・紛争史研究家・山崎雅弘さんの『新版 中東戦争前史』(朝日文庫)より、一部を紹介する――。
ガザ地区の面積は「東京都の6分の1」
ガザは1987年にイスラエル軍に対するパレスチナ人の一斉蜂起「インティファーダ」が発生した場所だったが、それから20年が経過した後も、同地に住む人々の生活環境はほとんど改善されていなかった。
現在「ガザ地区」と呼ばれている領域は、総面積約360平方キロの乾燥した帯状地帯であり、南西部でエジプトとの国境線が11キロある他は、イスラエルと東地中海に両脇と北東部を囲まれた「三面楚歌」の形となっている。
地中海の海岸線に沿って北東から南西へと伸びる、ガザ地区の中心軸附近での長さは約42キロで、海から内陸への奥行きは、広い場所では12キロあるが、最も狭い場所では6キロしかなく、日本に例えるなら面積で東京都の約6分の1、領土の長さは渋谷から横須賀あたりまでという、比較的小さな土地である。
地中海沿岸の栄華盛衰を見守ってきた土地
ただし、ガザ地区が現在のような形状で周囲から隔絶されたのは、1949年に第一次中東戦争が終結して以後のことで、それまでは周囲の領土(パレスチナ)と一体化した形で、地中海沿岸に次々と現れては消えた王国や帝国の栄華盛衰を見守り続けていた。
新石器時代の紀元前6000年頃には、この附近で人間が生活していた痕跡があり、紀元前1175年頃には、古代エジプトが軍事拠点を置いていたガザを、東地中海で覇権を確立したペリシテ人が奪い取った。
その後、紀元前1020年頃にガザ東方のエルサレム附近でヘブル(ユダヤ)人王国「イスラエル」が誕生すると、同王国はダビデ王の下で支配権を拡大、紀元前1000年頃にはガザ周辺もイスラエル王国の領土へと編入された。