喜べることが無上の幸福
friendであるためには、強い尊敬の意識が必須です。尊敬があると、相手に尽くそうと思います。裏切るなど思いもよりません。成功や成果を共有しようとします。
ともに喜べることが無上の幸福だと感ずるようになるのです。
一般に、私たちは常に嫉妬心を持つので、一緒に仕事をしている人が成功しても、それをねたんだりすることがあります。
しかし、尊敬の意識は、そういう人間心理を解消してくれます。仕事をうまく進める要因でもあるのです。
適度の無関心は、年配の友人同士のマナーだ。
いい面ばかりを求めると友人は少なくなります。
でも、嫌な面を受け入れてまで友人でありたくはない。
最初から見ないのが賢明です。
いい面ばかりを求めると友人は少なくなります。
でも、嫌な面を受け入れてまで友人でありたくはない。
最初から見ないのが賢明です。
密接な交流はない、真の友情のかたち
友人というものは、ただ黙って向かい合って座っているだけでも、自ずと心が暖められる。
小説家 高見順
小説家 高見順
東京谷中にある禅寺の全生庵に通っていたことがあります。中川宋淵老師が、龍沢寺から講話に来ていました。
宋淵老師は、旧制一高時代に高見順さんと同級生でした。高見順さんは58歳で亡くなり、老師は命日にあたる夜の講話で、こう言われました。
「部屋に行くと、もう高見の意識はなかった。私は高見が息を吸う時に吸い、息を吐く時に吐いて、ある時ぐっと息を止めると、高見の両眼から涙がこぼれ、亡くなった」
奥様も、夫の最後のことをこのように書かれています。
「中川宋淵師は決別の辞を枕頭に置き、朗々たる声で二時間くらい読経をしました。そして最後に『喝』と叫ぶと、高見は私を見て息を引き取ったのです。閉じたまぶたから、やせ衰えた頬にはらはらと涙が流れ落ちました」
私はこれらの話を知り、一代の高僧といわれた老師のお経を聞いて高見順さんの心が喜び、涙がこぼれたのだと直感しました。
二人の間には密接な交流はなかったようですが、このような交わりこそ、真の友情だと思います。