間違うことによって、脳は正しい社会活動を営める
先ほど言ったように、私たちは楽しかった昔を思い出しても、他人のひどい言動や、自分自身の恥ずかしい行為などを次々と思い出し、最終的には不愉快になることが多くあります。
私たちはよいことばかりを思い出すことはできず、屈辱や失敗などの嫌なことを連鎖的に思い出すようになっているのです。
まさしく「記憶こそ苦のもと」であり、「もの思わざる」ことが一番なのです。また、楽しい過去も結局は嫌な思い出につながるので、「不思善」が大切になってきます。
近年、脳の研究が進んで、思春期の10〜12歳頃には、感情や本能をつかさどる辺縁系や帯状回が発達することがわかってきました。性ホルモンが旺盛になる18〜20歳になると、性的な関心や行動が増えます。
一方、感情や性的衝動をコントロールするのは大脳新皮質です。しかし、思春期には大脳新皮質の発達が不十分で、感情が爆発したり、性衝動につき動かされたりすることが多く見られます。
脳の仕組みが完成するためには、この思春期にどんな教育を受けるか、誰と知り合い、どんな経験をするかが非常に重要です。
若い時に間違いを犯すことはもちろん避けられません。しかし、間違うことによって、脳は正しい社会活動を営めるように育っていくのです。
過去の失敗があるから、今の私がある
私はほかの人たちと変わっているところが多く、まわりの人にずいぶん嫌な思いをさせただろうと、よく思います。
誰も気がつかないような間違いもたくさん犯しました。それどころか、実際に間違ったことをしていなくても、「もし間違いを犯していたら、どんなことになっていただろう」などと心配したものです。
そのように、私は過去の出来事について、いつも恥じ入り、自分はダメだと自己批判してきました。
しかし、今は違います。過去の出来事は、脳が完成し、よりよい生き方ができるために避けられなかったことだと思うようになりました。
過去の失敗があるから、今の私があります。過去の失敗がなかったら、今の私はないのです。
親の目を盗んでお金を使ったこと、自己主張が強すぎて嫌われたであろうことも、今の私と切り離せません。
そのような経験をした自分が、今の自分になったのです。あの欠点、あの失敗のあった自分の延長が今の自分であり、恥ずかしい過去も自分の一部であって切り離せないのです。
一方、そう思うようになっても、過去を思い出しては自分を責める性癖を根だやしにすることは、やはりできません。そのため、「もの思わざるは仏の稽古なり」と、いつも口癖のように唱えています。
過去は日刊雑誌。読んだらすぐに処分しておこう。
自分の頭を「記憶のゴミ屋敷」にしてはなりません。