会見は「吊し上げの場」ではない
それ以上に、記者たちによる糾弾が、世の中のボルテージを上げているのではないか。
ここであらためて井ノ原氏を持ち上げて、記者たちを貶める、そんなことをしたいわけではない。井ノ原氏の対応は、先述のように褒められるべきではないし、記者についても、特定の誰かを責めたいわけではない。
集団としての記者たちが、ジャニーズを問答無用でエンガチョの的=万人の「敵」に仕立て上げている、そう指摘したいだけである。
かつてテレビ局の記者だった我が身を振り返ったときに、会見で「敵」を問い詰めた快感を思い出すからである。
今回のジャニーズ事務所のような「大物」ではないものの、17~8年ほど前、大阪府下の市長が、演説の原稿を他人から盗用した、という事案だったと記憶している。
犯罪ではないし、「政治とカネ」にまつわるものでもない。セコいというか、みっともないとはいえ、声高に質問する筋合いでもない。
それなのに当時20代半ばの私は、自分の親と同世代の市長に向かって、ほとんどタメ口で何度も追及していた。
いや、正確に言えば、追及したつもりになっていた、だけなのだろう。
記者会見は、たとえ権力を持っている人物に対している時であっても、晒し者にしてはならないし、ましてや罵詈雑言をぶつけてもならない。知りたい、と思う点を、いつもの言葉遣いで、へりくだりすぎもせず、上から目線にもならず、聞くしかない。
言い訳を並べる市長を黙らせて、権力の監視人になったつもりの私は、いい気になっていたし、調子に乗っていた。記事を書く上でも、VTRの取材の面でも、必要以上の論難は、まったく不要だったにもかかわらず。
今回の記者会見に限らず、とりわけここ最近の会見では、かつての私のように、英雄気取りでのぼせているタイプの記者が多いのではないか。
「迷惑系YouTuber」化する記者たち
乱暴に言えば、記者たちが「迷惑系YouTuber化」しているのである。
以前は、記者会見がフルに中継されることも、見られることもなかった。
いまは、すべて生中継されるだけでなく、その映像がYouTubeにアーカイブされ、いつまでも見られる。動画には、途切れ途切れではあるものの、コメントがつく。誹謗中傷もあるとはいえ、記者の姿勢を讃える声も少なくない。
個人の名をあげたい、そんな野心と自己顕示欲にあふれた記者たちにとって、うってつけの舞台と化す。
あえて、なのか、結果として、なのかはわからない。
悪目立ちする記者たちは、咎められるだけではなく一部から称揚のまなざしを向けられており、良くも悪くも彼らや彼女たちの知名度は上がっていく。
「迷惑系YouTuber」がアクセス数を稼ぐ回路と同じと言えよう。