ここは「都会」ではなく「都市」

ハモニカ横丁内に貼られているVICの求人広告。

【三浦】そうか、手塚さんは紅テントとか黒テントとか、ああいう街中に忽然と現れて消えていくアングラ演劇を撮影していたから、そういう意味ではすでに街と関わっていたわけだ。

【手塚】そう、関わっていた。特に唐十郎の状況劇場。ぼく、初期の唐十郎は面白いことをやっていたと思っているんですよ。四谷シモン、麿赤児、大久保鷹、安藤昇、面白い奴がいると、それに沿ってその場で人とものを組み合わせて「腰巻お仙」とか、「由比正雪」とかをつくっていた。

唐十郎も、芥川賞を貰って、わかりやすいリリカルな物語の中に終焉して駄目になったとぼくは思ってるんですよ。

彼は最初の頃に言ってるんだよね。「特権的瞬間に対応する特権的肉体」って。持っている体を晒すことで演劇にするんだという考え方が、どこかでなくなっちゃった。文章の中でコントロールするわかりやすい物語になった瞬間に、てんで面白くなくなった。

ぼくは今もきっと、あの頃の状況劇場のようにやろうとしているんですよ。うちのお店、今、ガーナから来たママトゥーさんっていう黒人の女の人がいるんですよ、こーんな大きなお尻の人。面接に来て、英語しかできないんだけど、この人、いるだけで面白いからって雇った。雇ったはいいけれども、大変なの。英語しかしゃべれないから(笑)。

【三浦】今もいるの?

【手塚】います。今、「ニワトリ」っていう焼き鳥屋で働いてる。

【三浦】ああ、いた、いた、あの人。

【手塚】今、うちの店員も外国人がすごく多くなって、30人近くいる。中国人、韓国人、南米。で、公用語は何かっていうと英語なんだね、やっぱり。

【三浦】「スワロウテイル」みたいな話だな。

【手塚】しゃべっているのは片言の英語なんですよ。グローバル化ってこういう感じなのかなと思って。やっぱり英語しゃべった方が早いんだよね。

ハモニカキッチン2Fにて。

【三浦】ニューヨークではみんな下手な英語を喋っている。あれはすごく安心します(笑)。

【手塚】そう。下手な英語の方がわかりやすいんだよね。

【三浦】ネイティブじゃない人同士はそのほうが通じるんですね(笑)。

【手塚】そう、だから公用語って面白いなと思って。

【三浦】そういう意味では、ハモニカ横丁のあたりは、局所的にすごく都市っぽくなってるんですね。物を消費するだけの「都会」ではなくて、人が交流する「都市」になっている。

【手塚】なぜ、そういうことが起きているかというと、飲食の、特に焼き鳥屋系を日本人の若い子がやりたがらないんですよ。応募してくる外国の人はガンガン仕事をやりたがっている。ぼくは、これから確実に焼き鳥屋で働く人は外国人が多くなると思って、中国語と英語の写真入りマニュアルをつくったんですよ。日本人は駄目だよね。根性がない。

【三浦】相撲取りと一緒だ(笑)。日本人がやりたいのは、「パン屋でカフェ」みたいもなのになっちゃうのかな。

【手塚】そう。カフェやりたいとか、パンやりたいとかいう人、多いね。ハローワークにパン職人の求人出したら、来るわ来るわ。何もノウハウもない40過ぎのおばちゃんまで来る。パンを焼いた匂いが好きなんだとか言ってたけれど、それって何かの夢が収奪されてない? 夢とか憧れって、いちばん騙しやすい資本主義の搾取の体系でしょ。

■黒テント
1968年、3つの劇団が共同で創設した「演劇センター68」が前身。黒色のテントを敷設し全国で公演を行ったことからこの通称となり、90年に正式名称が「劇団黒テント」となる。俳優の斎藤晴彦、演出家・編集者の津野海太郎らが所属。
■唐十郎
から・じゅうろう。1940年、東京生まれ。明治大学卒。63年に劇団「状況劇場」(通称・紅テント)を結成。83年、小説『佐川君からの手紙』で芥川賞受賞。97年、横浜国立大学教授。
■四谷シモン
よつや・しもん。官能的な造形で知られる人形作家。1944年生まれ。68年、状況劇場で女形を演じる。
■麿 赤児
まろ・あかじ。俳優・舞踏家。1942年、石川県生まれ。早稲田大学中退。64年、状況劇場に参加。72年、舞踏集団「大駱駝艦」を設立、主宰。舞踏家・土方巽の弟子。俳優・大森南朋の父。
■大久保鷹
おおくぼ・たか。1943年、新潟県生まれ。明治大学政治学経済学科中退。「状況劇場」に入団、日本のアングラ演劇を代表する俳優となる。76年に状況劇場を退団。
■安藤 昇
あんどう・のぼる。1926年、東京生まれ。特攻隊から復員後、渋谷を本拠とする愚連隊組織「安藤組」を結成。伝説のヤクザ花形敬が舎弟となる。58年に服役。64年に出所し、安藤組を解散。映画俳優に転身。唐十郎監督の映画「任侠外伝・玄界灘」に出演。
■腰巻お仙
正式名称「腰巻お仙-義理人情いろはにほへと篇」。1967年に新宿・花園神社境内の紅テントで上演された、状況劇場を代表する演劇作品。作・演出は唐十郎。主演・李麗仙(当時は李礼仙。この頃は唐十郎の妻で、二人の間に生まれたのが俳優の大鶴義丹)。ポスターは横尾忠則が描いた。
■由井正雪
ゆい・しょうせつ。正式名称「由比正雪-反面教師の巻」。新宿・花園神社境内の紅テントで上演された唐十郎唯一の時代劇。大島渚監督の映画「新宿泥棒日記」に上演シーンが登場。由井正雪は江戸時代初期の浪人・軍学者。倒幕クーデターを画策するが失敗、自刃する。
■特権的肉体
とっけんてきにくたい。唐十郎が自身の演劇論を言い表した名言。同名の著作もある。訓練され、権威付けられた芸術的な肉体ではなく、各役者固有の肉体が舞台上で語り出し、その時、その場所でしか表現できず観ることもできない(=録画されたものをYouTubeで見ても追体験することができない)演劇独自の表現。
■スワロウテイル
1996年公開、岩井俊二監督の映画作品。舞台は近未来の日本、移民が混在し、英語、日本語、中国語が混用される東京ベイエリアの「円都(イェンタウン)」。出演はCHARA, 三上博史、渡部篤郎、江口洋介、山口智子ほか。

<次回予告>三浦さんの問いかけに、「ハモニカを創った男」手塚さんの体の中から、手塚さんをつくった体験が次々と語られる。これがほんとうの「発想法」だ。現れることばは、同時性、美術史家ハンス・ゼーデルマイヤ、インド初代首相ネルーの著書。さあ、一気にディープ度が増す第5回《店は出してみたほうが早い》は11月2日掲載予定です。

(構成=プレジデントオンライン編集部 石井伸介)
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