※本稿は、本橋信宏『僕とジャニーズ』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。
北公次を主役にしたビデオ版『光GENJIへ』
1989年盛夏。
私は北公次を主役にしたビデオ版『光GENJIへ』(パワースポーツ)を撮りはじめた。自ら監督した作品である。
北公次は『光GENJIへ』(データハウス)という本を成立させる過程で5日間に及ぶ私からのインタビューを受けたが、ビデオ版では吹っ切れたのか、さらに表に出てこなかったジャニー喜多川社長の性虐待行為について、率直に語り出した。
浅草ビューホテルの一室で私に向かって話すのではなく、今回はカメラに向かって話すのだ。
撮影は私が仕事場にしている高田馬場の事務所でおこなわれた。
カメラマンはターザン八木である。
室内の照明だけで撮っているので、北公次の衝撃の告白も、画面が薄暗く不鮮明である。だが暗い画面がかえって北公次の深刻な告白を印象深いものにしていた。
「机の中に外人のエロ本がいっぱいあるんです」
「行為がだんだん激しくなってきて…………、ときには……浣腸なんかやられたり……、我慢しなくちゃいけないっていう雰囲気つくられちゃって、この人の言うことをきかないとデビューできないんだ。実際に『デビューさせてやる』って聞いてましたから、ジャニーの言うことをきかないと、デビューできないんだと思っていましたから。
その当時、ジャニーズってすごい人気でしたから、自分でも我慢しなくちゃいけないと思っていましたから、正直いって我慢しましたけど、だんだんエスカレートしてきまして……、ひどいのはあの人の机の中に外人のエロ本がいっぱいあるんです。それがちゃんとわかるように部屋に置いてるんですよね。
自分も見るんだけど、“性”というものがわからなくなっちゃって、正直いって女の人とやりたいのに、なんでこんな男の人にやられなくちゃいけないんだろうと、ずっと苦しみましたけど、自分が我慢してフォーリーブスとしてデビューして売れたっていうか、CBSソニーの第1号タレントになれて、レコードも何回もベスト10に入ったし、紅白も出たし……(サイレンの音)」