メディアに対してもコントロールが利くようになる
この頃はまだジャニーズ事務所は今ほどの規模ではなかったため、ジャニー喜多川社長が愛するのは北公次少年に集中した。
北公次が証言したように、デビューするためにはたとえ嫌なことでも我慢する、という処世術を彼が学習したことが、後のジャニー喜多川社長と所属するタレントとの関係を決定づけた。
デビューと仕事の紹介をほのめかせば、10代少年たちを我が物にすることができる、とジャニー喜多川社長も学んだために、性加害は、長年にわたって継続した。
被害少年たちが訴えなければ司法が動くこともなく、ジャニーズ事務所が大きくなり、有力タレントを数多く輩出すれば、メディアに対しても何かあったら、「うちのタレントを出さない」と圧を加えることでコントロールが利くようになる。
真実か噓かしかない
山手線の警笛が割りこむなか、私の仕事場で北公次の独白がつづいた。
「今回この『光GENJIへ』という本を出して、いろんな反響がありました。僕は真実を書いた、これだけなんですけど。ジャニーズ事務所か北公次か、真実か噓かこの2つしかないわけで……。僕が今回こういう告白をしたのはひとつのケジメでありまして、今まで本は出したことがあったんですけど、ジャニー(喜多川)との絡みあいがいつも抜けてるんですよね。だから今回は自分の人生において再出発するには、そのジャニーとの関係を出さないと、再出発はあり得ないと思いまして、この『光GENJIへ』を出したんです」
画面に向かって語りつづける北公次。
滑舌はけっしていいほうではなく、口下手なところもあるが、かえってそれが告発者の真摯さを感じさせる。