冗談半分で提案した「怪談売買所」が口コミで話題に

2013年6月某日、三和市場の「とらのあな」の隣りにあった空き店舗で「怪談を売ってください」という張り紙をしてイスに腰掛けた宇津呂さんの表情はさえなかった。自ら提案したものの、お客さんが来るとは思えなかった。「なにあれ?」と好奇の目に晒され、「アホやろ」と指さされながら、イベントのある2日間を過ごすのは憂鬱ゆううつだった。

その心配は、杞憂きゆうだった。森谷さんが積極的に呼び込みをしてくれたおかげで、初日からたくさんのお客さんが訪ねてきたのだ。しかも、自分の話を聞いてほしいという人が大半で、思いのほか収穫が多かった。2日目も客足が絶えることなく、イベントが終わる頃にはすっかり開店前の暗い気持ちを忘れて、「これ、いける!」と胸のうちでガッツポーズをしていた。

森谷さんに「また機会があったら、ぜひ出させてください」と伝えると、尼崎で最も大きな貴布禰神社の夏祭りが行われる8月1日、2日に再び出店することになった。その2日間も大勢のお客さんがやって来て、それまでの苦労が嘘のようにネタが集まった。

「もうほんまに夢のようでした。こんなことがあるのかと」

それから、三和市場でイベントが行われる春、夏、秋の年に3回、怪談売買所を開くようになると、宇津呂さんは業界注目の存在になった。数冊の怪談本に寄稿した後、2014年12月には初の書籍『FKB怪幽録 異怪巡り』(竹書房文庫)を発売している。

新聞やテレビにも取り上げられ、それを観た人たちから三和市場に「次はいつあるのか?」という問い合わせが増えて、毎月第2、第4週の土日にオープンすることに。ここでもっと有名になろうとか、もっとたくさんネタが欲しいとギラギラしないのが、宇津呂さんらしい。「準備して片づけるのが大変」という理由で、後に毎月第2週の土日だけにした。

食い扶持は別の仕事で稼ぐ

こう書くと、2013年に怪談売買所を始めてから順風満帆に思われるかもしれないが、食い扶持は別の仕事で稼いでいた。

ここで、ほとんど公表されていない宇津呂さんの副業歴(本業は怪談師)を振り返ろう。怪談師として活動を始めた2009年は、臨時職員として兵庫県庁で働いていた。その後、県庁職員の紹介で尼崎のNPO法人に就職。そこではパソコンインストラクターとして、職業訓練にきた生徒30人から40人ほどに授業をした。宇津呂さんは、怪談師をしていると明かしたうえで、3カ月の授業期間が終わる時、生徒全員に「なにか怖い体験があったら教えてください」と書いたアンケート用紙を配った。その頃にはすでに生徒と打ち解けているので、回答してくれる生徒も多かった。

そのNPOが経営不振に陥ると、知人のツテで障害者施設のヘルパーになった。そこでもほかの職員から話を聞いて、ネタを集めた。「インストラクターやヘルパーは副業で、怪談師をするためにやってる仕事」と考えていたから、本業のために話を聞くことに躊躇はなかった。

怪談売買所の宇津呂さん
筆者撮影
怪談売買所の宇津呂さん。県庁の臨時職員、パソコンインストラクター、ヘルパーと仕事を掛け持ちしながら怪談師の活動を続けてきた。

2015年、怪談好きの女性と結婚。妻が住む長野に移住し、現地でヘルパーの仕事をしながら、関西に通って怪談ライブを続けていた。しかし、7月から9月の間は毎週末、怪談ライブが入り、行き来がハードになる。

次第に身体に堪えるようになってきて、「もうこんなん嫌や」と2019年、妻を連れて尼崎へ。長野に移住する前に働いていた会社に復帰させてもらい、ここでもヘルパーの仕事に就いた。同年、「怪談で世界平和を目指す」という理念を掲げ、NPO法人宇津呂怪談事務所を設立する。

「人ってなかなか死ぬことについて考えないじゃないですか。でも、人はいつか死ぬんですよ。ひょっとしたら明日死んじゃうかもしれないですよってなった時に、もっと死を身近に考えましょうねと。死を身近に考えることは、生きることを考えることにも繋がります。生きることを考えたらその人の生活は変わってくるし、人生良くなるはずやっていうのが根底にあるんですよ。そのきっかけとして怪談はぴったりなんです」