さみしいという感情にも役割がある
そもそもさみしさの理由がはっきりしていることもあれば、なぜ自分はさみしいのか、理由がよくわからないこともあります。それくらい、さみしいという感情には個人差があり、捉えどころのない心の動きなので、他人と共有することが難しいのです。
複数のネガティブ感情が重なることで、より強いさみしさを感じてしまうこともあれば、なんとなくやり過ごしていたらいつの間にか消えていた、ということもあります。さみしいという感情が消えるタイミングは、人や状況によってまちまちなので、とても扱いにくいのです。
いずれにせよ、さみしいという感情は誰のなかにも存在します。
大人になってからあまりさみしさを感じなくなったという人も、おそらく子どもの頃は、一緒にいたはずの両親からはぐれてしまったり、突然ひとりぼっちになったりするとさみしくなり、不安で泣いてしまったという経験があるのではないでしょうか。
なぜわたしたちには、さみしいという感情が生じるのか――。
この問いに対しては、脳科学や生物学の観点から、さみしいという感情には人が進化するうえで、なにかしらの役割があったからだと考えられます。
さみしいという感情は、人という社会的な生物にとって必要不可欠なものであり、ときに強い痛みを伴うほど強力に発動させることで、人という種を存続させ、進化を果たしてきたと示唆されます。
さみしさは「人間が生き延びるため」の仕組み
赤ちゃんや幼い子どもは、母親の姿が見えなくなったとたんに泣き出し、抱きかかえられると泣き止むことがあります。
ひとりでは生きられないほど未熟な状態であるため、自分を守ってくれるはずの存在がそばにいないことは、いわば大きな生命の危機にさらされている状態です。その危機をさみしさというシグナルで敏感に感じ取り、誰かに守ってもらえるように大声で泣くことで、まわりに知らせていると見ることができるでしょう。
そう考えると、さみしさは危険や危機を予測する防御反応であると同時に、「生き延びること」を強く欲する力の淵源でもあるといえそうです。
わたしたちが「現代社会」と呼ぶいまの世界は、人の進化の過程においては、ほんの一瞬の出来事、それこそまばたきするような期間に過ぎません。人類は、これまで多くの時間で集団をつくり、狩りをして過ごしてきました。
初期の人類は、単独でいるよりも集団でいるほうが生存の可能性が極めて高く、共同体や組織などの社会的集団をつくることで生き延びてきたのです。哺乳類では多くの種が、餌を得るために、また個体としての脆弱性をカバーするために、群れをつくって生きてきました。その哺乳類のなかでも、とりわけ足が遅く、力も体も弱いのが人類です。

