マルチ商法やカルト宗教にダマされやすい人には共通点がある。脳科学者の中野信子さんは「真面目で努力家の人は、努力すること自体に快感を覚えるようになっている。そうした人は、さみしさという心の隙間に付け込まれると冷静な判断ができず、悪意ある他人に操作されやすい」という――。

※本稿は、中野信子『人は、なぜさみしさに苦しむのか?』(アスコム)の一部を再編集したものです。

封筒の中の一万円札を数えるビジネスマン
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心の弱みに付け込む悪意ある人たちに要注意

「さみしい」と心の内を吐露し、話せる人を求めるのは人として自然なことですが、実はさみしいときこそ注意が必要です。

なぜなら、安易に“誰か”を求めてしまうと、その心の隙間に付け込もうとする人に利用されてしまうことがあるからです。心の隙間に付け込んでくるのは、例えば悪徳商法、詐欺、カルト宗教・怪しい新興宗教といったものです。

それらにかかわる人に共通しているのは、さみしい人に寄り添うふりをして、その心の弱みに付け込み、利己的に搾取するということです。ですから、さみしいとき、無理に誰かとつながろうとすることには危険があることを十分に知っておくべきでしょう。

人類の歴史において、人々のさみしさの受け皿となる役を担ったものに宗教の存在があります。例えば仏教系であれば、「仏に帰依する」「善行により徳を積む」「念仏」「唱題」といった行為により、「来世で救われる」「極楽浄土に行ける」「悟りを開く」という信仰であり、現世のさみしさの奥にある苦しみ、悲しみ、不安、恐怖といったものに対して、それに動じず、受け入れられる自分になるという教えがあるのでしょう。

本来の仏教というのは、そんないわば「ありのままの自分」になるための方法や環境づくりを、指し示してくれているのかもしれません。

脳は、体のなかでもっとも資源を消費する臓器なので、できるだけ活動を省力化しようとします。つまり、脳には常に自分の活動をセーブしようとする性質があり、よりわかりやすいもの、あまり考えなくても済むものを求めてしまう傾向があるのです。

なぜ人は、あやしい宗教にハマるのか

「こうすればさみしさから解放されるよ」とシンプルに示されたり、わかりやすくて簡単な理屈や行為のプロセスがあったりすると、それに乗っかってしまいがちにもなります。

人間は本来さみしがりやで、弱い生物で、なおかつ脳が怠け者。だからこそ、宗教が必要とされてきたのでしょう。しかし、なかには反社会的なカルト宗教や、金儲けを企む悪意のある人が巣食う宗教も存在します。

そうした宗教は、脳の特徴や、さみしいという感情に潜む弱点を上手に利用して人を取り込もうとしてきます。さみしさを抱える人を洗脳し、その人の人生を搾取して破綻させてしまうことも珍しくありません。