食欲、性欲と同じコントロールできない本能
そんなわたしたち人類が、ここまで生き延びることができたのは、より濃密で、極めて高度な社会性を持つ集団をつくることに長けた生物だったからといえます。
そして、その社会的結び付きをより強く維持するために、集団でいるときは心地よさや安心感を抱き、孤立すると居心地が悪くなり不安やさみしさを感じるようになったと見ることができます。
そうしたシステムが、わたしたちの遺伝子に組み込まれていると考えるほうが自然なのです。さみしさが、コントロールすることが難しい情動である理由も、これで説明できそうです。
人が種を残し生き延びるためには、食欲や性欲と同じように、さみしさも意志の力などで簡単にコントロールできないように仕組まれた「本能」であると考えることができるのです。
心の弱い人間でもなければ、劣っている人間でもない
さみしさは、人にもともと備わっている本能です。
だからといって、「どうしようもないのだから放っておけばいい」といいたいわけではありません。そのさみしさが深い苦しみを伴うものなら、その苦しみを少しでも和らげるために適切に対処する必要があります。
さみしさは本能であると知ったとしても、さみしさから解放されることはないでしょう。しかし、さみしさの仕組みや本質を知ることは、決して無意味なことではありません。
さみしさを脳科学や心理学の視点から、人類の進化、社会の発展との関係で科学的に考察すると、さみしさを感じる自分は心の弱い人間でもなければ、劣っている人間でもないということに気づくはずです。
また、他人のさみしさを感じにくい、理解しづらいという人も、さみしさは他人と共有するのが難しいわけですから、決して冷淡な人、思いやりのない人ではないことがわかるでしょう。
人はさみしさを感じてしまう生物だという、生物学的事実を大前提にしながら、
「なぜ、いま自分はさみしいと感じてしまうのだろう?」
「仲間といるのに、さみしさを感じるのはなぜだろう?」
「自分を苦しめているこの感情の正体はなんだろう?」
というように思考を巡らせて、さみしさの本質と向き合っていく。
そうすることで、あらためて自分の人生を捉え直したり、それまであいまいにしていた自分の本心や勝手な思い込みなどに気づいたりしながら、よりよい人生を歩んでいくことができるのではないでしょうか。