証言の信憑性は慎重にチェックすべきだが…
フォーリーブスとしてデビューした後も北とジャニー喜多川の関係は続き、仕事で疲れきっていた北がジャニーに体をまさぐられて「やめてくれっ!」と叫んだことも。パジャマ姿で逃げ出した北は真っ青な顔で涙を流し、その姿をファンに目撃されたという。そして「この男たちの愛欲の館と化している合宿所から抜け出そう」と決心する。
YouTubeもSNSもない35年前、元所属タレントが深刻な性加害を実名で告発していた。なぜ報道メディアがそれを大きく取り上げてこなかったのかというと、事務所への忖度という側面に加えて、北がジャニーズ事務所を辞めてからの経歴も影響したと考えられる。北はアイドル時代から薬物に手を染め、1979年に覚醒剤取締法違反で逮捕されている。クスリでラリっていたような前科持ちの証言は信用できない。メディアがそう判断した部分もあっただろう。
さらに北はこの『光GENJIへ』シリーズで告発を続けながら、2002年にはジャニーズ事務所と和解した形でフォーリーブスを再結成している。2012年に病気で亡くなった際には、ジャニー喜多川とメリー喜多川に対して感謝の言葉も残しているので、喜多川姉弟の責任を問う意志があったのかは、疑わしくもある。
これは岡本カウアンの会見で、彼がTwitterで「ジャニーズ事務所に訴えられました」と虚偽の投稿をしたことが指摘されたのと同じで(本人は多くの人にクリックしてもらい震災被害への寄付をする目的だったと回答)、証言に信憑性があるかということはチェックすべきだろう。
覚醒剤で捕まったが性被害の告発には誠意があった
しかし、北公次が自分にとってなんのメリットもない性被害について綴ったのは、この本の仕掛け人でもあったAV監督・村西とおるの意向もあるだろうが(村西はジャニーズ事務所と対立していた)、そこには自分のような被害者を出したくないという“一分の魂”があったからだと思われる。
『光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』(データハウス)