芸能界デビューと引き換えに体を差し出すよう迫ったか

二本樹は合計10~15回、被害に遭ったと証言した。2023年4月に記者会見した元Jr.の岡本カウアンも15~20回襲われたと語ったが、北は4年半も毎晩のように性行為を求められたと振り返っている。ただ、異性愛者である北にとって、「毎夜のジャニーさんの愛撫あいぶはまさに生き地獄だった」という。

1988年に出版された『光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』(データハウス)
撮影=プレジデントオンライン編集部
1988年に出版された『光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』(データハウス)

では、なぜ彼らは性行為を拒まなかったのだろうか。その理由もまた、何十年経っても変わらない。北はこう綴っている。

「しかし東京で食いつなぎながらアイドルになるためには、ジャニー喜多川氏のもとで生活する以外に手段はなかった」
「ジャニーさんにからだをまかせるのも、芸能界でデビューして必ずアイドルになってやるんだという目的のためだった」
『光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』(データハウス)

当時から亡くなる直前まで、ジャニー喜多川には絶大な権力があった。昨日までただの無名の一般人だった男の子が、彼にひと声かけられれば一夜にして、オーディションもなしに華やかなコンサート会場に立つことができる。本格的にデビューしてレコードやCDを出せば、全国放送のテレビに顔が映り、歌番組やドラマに出て、サラリーマンでは考えられないほどの収入を得られる。実は初期のジャニーズ事務所がタレントに正当な報酬を払っていなかったのではという疑惑は、北の本にも書かれているが、スターを夢見る少年たちはそう信じていたのだ。

当時も合宿所に寝泊まりする複数の少年が被害を訴えた

男性に対する性行為の強要やレイプは罪に問われず、「均等法のセクシュアルハラスメント対策規定」(2019年施行)、いわゆるセクハラ防止法もなかった時代。しかし、人権意識に照らし合わせれば、告発された内容はアウトでしかない。

北はジャニー喜多川に「コーちゃん」と呼ばれ、恋人や夫婦のように親密な関係になったが、やがて合宿所に寝泊まりする他の少年たちも性被害に遭っていることがわかったという。ある日、北は小学3年生ぐらいのアイドル予備軍の男子に相談されたそうだ。

「おとなのおとこの人ってみんなあんなことやるの? あのねえ……ジャニーさんがメンソレータムもって部屋にくるの。ぼくいやだよ、あんなこと……。きもちわるいよ」『光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』(データハウス)