知らない漢字が出てきても恐れないで
知らない漢字を目にすると、最初はストレスを感じます。しかし、心配しなくても大丈夫です。読書量が増えていけば、漢字のつくりや前後の文脈からおおよその意味は推測できるようになります。また、わからない言葉をいちいち調べないでも読み進めることは可能です。
ただし、調べるのが苦にならない人は、知らない漢字を確認してみてください。漢和辞典で調べるのもいいですし、今は手書きで漢字を検索できるスマホアプリもあります。知らない漢字でも、何回か目にしているうちに脳内に定着し、自分が文章を書くときに使えるようになってきます。
知らない漢字といって思い出すのは、吉川英治の作品です。私が吉川英治にハマったのは中学1年生の頃でした。古本屋で全集を手に入れ、ページを開いた途端、違和感に気づきました。旧字体で書かれていて、読めない漢字だらけだったのです。
それでも、読めないながらも意味を想像しつつ読み進めていたら、不思議と旧字体が理解できるようになりました。英語を聞き続けていたら、あるとき急に理解できるようになるといいますが、それと似ているのかもしれません。当時はネット検索が一般的ではなく、検索できたとしても偏の読み方すらわからなかったので、自分の頭で推理しながら、どうにか読み解いていました。祖父に聞いて読み方を教えてもらったりするのも、なかなか楽しい経験でした。
小説家が「漢語的表現」を使うとき
「屹峭」という言葉を初めて知ったのは、山本周五郎の作品を読んだときでした。屹にも峭にも「けわしい」という意味があり、「屹峭たる断崖」といった表現で用いられます。一目見て何となく「険しい崖だろうな」と思ったのですが、実際に漢字を調べて意味を確認しました。それでも一度読んだだけでは、なかなか頭に定着しません。2回目に読んだときに、やっと自分の脳内辞書に記録されたという感触があり、自分の小説にも使うようになりました。
同様の経緯で覚えた言葉に「松籟」もあります。籟には「ひびき」の意味があり、松の梢に吹く風をあらわします。ちなみに東京・渋谷には松濤という高級住宅地がありますが、松濤も松に吹く風を波にたとえていう言葉です。
松風といっても意味は同じですが、松籟は漢語的な表現であり、視覚的にもニュアンスの違いがあります。私の場合、読者の知的欲求度が比較的高いと思われる単行本では、意図的にこういう漢字を使っています。
また、校正段階で全体的に平仮名が多くて緩んでいると感じたときに、少し硬めの漢字を使うと締まりの良い印象が生まれることもあります。作家によっては特有の語彙もあるので、言葉使いの癖に注目するのも面白い読み方です。