軍事大国の醜い側面がえぐり出されている

映画を見た若者に話を聞くと、原爆をめぐるシーンで本当に嫌な気持ちになったという人も少なくない。

例えば、日本に核を落とすべきか、どこに落とすべきかを政府要人が議論するシーンで、こういう台詞がある。

「京都はやめたい。妻との新婚旅行に行った場所だから」

これは、実際にスティムソン戦争長官がトルーマン大統領を説得した際の発言とされているが、あまりに身勝手な理由だ。こんなことで人の運命が決められてしまうのか、と驚きと怒りを覚えたという若者もいた。

終戦後、オッペンハイマー博士は自分の行いに強い罪悪感を抱え、一転して核軍縮を訴えるようになった。だが、それを良しとしない当局は、反共反ソビエトの「赤狩り」の嵐の中で、彼が共産主義者であると決めつけ、博士は以後不遇の人生を送ることになる。そのため彼の存在はタブー視され、長く歴史の表舞台から姿を消すことになった。

『オッペンハイマー』は軍事大国アメリカのあまりにも醜い側面が、冷徹にえぐり出された作品でもあるのだ。

日没時の原爆ドーム
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人種が多様で、情報は自分から取りにいく世代

原爆についてもっと知りたいという若者の態度は、アメリカニズムに対する懐疑的な姿勢にもつながっている。

アメリカ人にとって原爆投下は、大きな歴史上の汚点としてネイティブアメリカンの虐殺や奴隷制、ベトナム戦争などとも並ぶ大きな事件だ。誰もが、自分の国がこのような残虐行為におよんだことを信じたくないし、できれば触れたくない。特に愛国心を重視し、白人中心の歴史観を展開してきたアメリカでは、こうした歴史に正面から向き合うことを避けてきた部分がある。

しかし、歴史を知らなければ問題は解決できない、先に行けないという思いが、今アメリカの若者の間に急速に広がっている。ネット時代になり、必要な情報は自分から取りにいけるようになったことも大きい。

例えば、ブラックライブスマター運動は黒人が始めた運動だが、若者の人種的な多様化が急速に進む中、若いZ世代の白人の多くは肌の色が違う友人に囲まれて暮らしている。「自分たちの先祖が犯した罪をきちんと知らなければ、ダイバーシティの国として先に行けない」という強い思いを持つ人も増えた。だからこそ人種を超えた歴史的な運動になったのだ。