ナショナリズム的な歴史教育が変わってきている

歴史教育も変わってきている。アメリカでは日本のように検定された共通の教科書を使わない。ガイドラインはあるが、内容も教材も先生の裁量に任されている。

そのため原爆についての教育もさまざまだ。たいていの小学校の授業で習うのは「Sadako & The One Thousand Paper Cranes(サダコと千羽鶴)」。アメリカ人著者のエレノア・コアが1977年に出版した、2歳の被爆者佐々木禎子の悲劇を描いた物語である。

小学生のグループワーク
写真=iStock.com/evgenyatamanenko
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またアメリカには、日本人被爆者の語り部がわずかだが生存し、高校などを回って原爆の恐ろしさを伝え続けている。また、彼らのビデオなどの教材は、政府のウェブサイトも含め大量に存在し、先生が自由に使うことができる。

もちろん先生によっては、教科書にある数行の事実だけで済ませる人もいるが、こうした教育も、2000年後半から変わってきているようだ。

アメリカだけを正当化するナショナリズム的な歴史観ではなく、かといって悲劇だけを伝えるのでもなく、史実やそれに対する論調も含めて伝え、生徒自身に議論させる方式が採られつつある。そこには日本の犠牲者の視点や、アメリカの関係者からも投下に強い反対があったことなども盛り込まれている。その正否を教える側が決めつけるのではなく、生徒たちに判断させるのだ。

原爆を揶揄する投稿は「無神経でひどい」

トルーマン政権による原爆正当化は間違っていたと若者が認識するようになったのも、こうした授業が増えていることが大きい。なおこの世代は、2001年のアメリカ同時多発テロ直後のブッシュ政権が、イラク戦争を正当化するためにイラクに核があると嘘をついたことに怒りを感じている世代でもある。

こうした教育により、加害者、犠牲者の枠を超えて歴史を冷静に見つめる世代が増えてきたことは大きい。冒頭で紹介した、原爆を揶揄するような「#バーベンハイマー」騒動について番組に出演した若者たちにたずねてみたところ、このような反応だった。

「無神経でひどい。日本人の気持ちを考えると怒って当然」
「アメリカとは違う経験や価値観を持つ国で、どんな反応があるのかを考えなかった映画会社の大きなミスだと思う」
「深刻な戦争犯罪を笑いに変えることで、真の姿が見えなくなるのが心配」