2年連続で小石川を脱走した熊
実はこの同じヒグマが、その翌年にも脱走事件を起こしている。
「砲兵工廠内の熊」
東京小石川砲兵工廠の小銃製造場附属の食堂でなにやら怪しい物音がするので、守衛は不審に思って耳をそばだてると、堂内の床板をみりみりと引き剥ぐような響きで、月の光に透かし見ると一頭の大熊がさりさりと歩みいるので、詰め所の番兵等一同が駆けつけると、どこへ逃げたのか影すら見えなかった。(中略)昨年、同区新諏訪町某方で飼養していた熊一頭が、いつしか抜け出て行方知れずとなったことがあり、右熊は万が一その熊ではないかと(「北海道毎日新聞」明治31年4月3日)
小石川砲兵工廠の小銃製造場の付属食堂で怪しい物音がするので、守衛が不審に思って耳をそばだてると、床板をみりみりと引きはがすような音が響いている。月あかりに1頭の大熊が歩いているのが見え、詰所の番兵たちが駆け付けたが、すでに逃げた後だった。前年に熊が脱走して行方不明になったことがあり、同じ熊の可能性がある、という。
熊が日比谷公園から脱走し、国会議事堂の前に出没
次の記事は、国会議事堂すぐ近くで熊が出没したという事件である。
「帝都の中央を騒がした仔熊」
東京の真ん中帝国議事堂の前、麹町内幸町三番地、東鳴倶楽部に住む大工さん田村栄次郎(五三)方で飼育中の鶏七羽が、九日午前二時頃けたたましく羽叩きをするので、イタチではないかと一家総出で騒ぎ出し、鶏小屋を調べて見ると、片隅に犬のような異様の怪物が鶏一羽を喰い殺し、まさに他の一羽に飛びかからんとしているので、件の怪物を板囲いにして寝に就いたが、怪物は間もなく囲いを破って逃げ出したのを翌朝になって発見、残念なりとばかり九日夜、怪物の喰い殺した鶏を餌にして陥穽を作り、怪物御座んなれと待ち構えていると、十日午前二時頃、陥穽につけた鈴がけたたましくなり、怪物がまんまと陥穽にかかり、異様な眼光を四辺に輝かしている、夜が明けると同時に近所総出で怪物の品定めをしていたところ、驚くべし帝都の真ん中を荒らした怪物は小さいながらも熊とわかり、十日午後八時、日比谷署において取り調べたところ、右は日比谷公園の仔熊で、一週間前、金網を破って逃走したものと判明、その引取方を公園事務所に通知したが、帝都の中心でかかる猛獣の熊が横行した事は物凄い話である、この熊は従来、事務所傍らの檻に入れていたが、一週間前に一般の観覧に供するつもりで公園内の檻に入れたばかりであったと(「北海タイムス」大正15年8月12日夕刊)
国会議事堂の近く、麹町内幸町に住む大工の田村栄次郎方で、飼っている鶏がけたたましく羽ばたきするので、鶏小屋を見てみると、怪物が鶏を食い殺していた。
鶏をエサに罠を作り待ち構えていると、怪物がまんまと罠にかかったが、正体は小さな熊であった。日比谷署で調べたところ、日比谷公園の檻で飼われていた子熊と判明。この子熊は1週間前に金網を破って逃げ出していたという。
内幸町といえば、霞が関の官庁街や帝国ホテルの近くだ。日比谷公園で熊を飼っており、その熊に脱走を許したことも驚きだが、一等地で鶏を飼っていたという事実にも驚かされる。