浅草で行われていた「人間と熊の相撲」
「熊の縊死」
先頃より浅草公園内にて大熊と人間に相撲を取らせ、見物人より幾らかづつの銭をもらッていた淸水泰助は、例の公園地改正一件につき、去る二十日限り同所を引き払いたれば、彼の大熊をどこへか値売りせんと諸方を探しているうち、幸いさる人が望むに任せ、あらましその相談を極め、明日はいよいよ金の取引をしようというその日の夕方、熊は何が気に入らぬか、にわかに暴れ出し咽喉に繋ぎありし鉄鎖にて首をくくッて死んだので、持ち主はもう一日の事で百円余の金を取り損なッたとこぼしているという(「読売新聞」明治17年7月23日)
浅草公園内で大熊と人間に相撲を取らせて、見物料を取っていた清水泰助は、同所を引き払うことになり、大熊を売り飛ばそうとしていた。幸い取引は決まったが、熊が暴れて鉄鎖で首をくくって死んでしまった。持ち主は金を取りそこなったとこぼしている、という。
海外には「ヤギ」と呼ばれる熊使いがいる
クマの相撲は人気があったのか、複数の興行師が似たような見世物を張っていたようだ。
実は海外にもこうした旅芸人が存在する。
数十年前には、村落や貴族の領地や小さな町をまわる『ヤギ』とよばれるクマ使いがいた。クマ使いには、ヴォルガ河流域地方の森の多い県の農民たちか、タタール人かジプシーが最も多かった。ふつうは二人づれで、一人はいわゆる『クマ使い』で、他の一人は楽師であった。楽器はロシア人なら太鼓、タタール人ならヴァイオリンときまっていた(『大陸の野生動物』V・N・シニトニコフ 山岸宏訳)
熊の知能がかなり高いことは、最近の研究でも判明しているが、相撲の行事まで務めるとはたいしたものである。