知的障害者は保護者が亡くなったらどうなるのか。自閉症アーティストの佐藤楽音(GAKU)さんの父親・典雅さんは「絵の売上はほとんどアート活動の事業に再投資している。自力で生活できない知的障害者にとって、貯金はあまり意味がない。それよりも経験や人との出会いで『生きた資産』を残したい」という――。

※本稿は、佐藤典雅『GAKU,Paint! 自閉症の息子が奇跡を起こすまで』(CCCメディアハウス)の一部を再編集したものです。

佐藤楽音(GAKU)さん
筆者提供
佐藤楽音(GAKU)さん

「どうせ何もわからない」と線引きしてはいけない

小さい頃のがっちゃんは、何も話してくれなかった。一方的に同じ言葉を繰り返すばかりで、学校で何があったのかを知ることもできなかった。これは中学生に至るまでずっとそうだった。

ところが高校生になってから、突然ロスでの幼稚園のクラスメートの名前を出すようになった。どの子がバスで先生に叱られて泣いたといったり、先生の名前を連呼したりする。そして、そのときの教室の番号と扉の色をいったりする。

「え、そんなことも覚えていたの?」

ボクとさっちゃん(※がっちゃんの母)にとっても、驚きだった。そんなに小さい頃のことを覚えていることもだが、何よりもその光景を認識して理解していることが驚きだった。彼がその日の出来事を話してくれたことはないので、いろいろなことに対して関心や興味がないと思っていたからだ。

このように、知的障害を持つ子どもにたとえ反応が見られなくても、ちゃんと情報は吸収している。だから「どうせ何もわからないだろうから」と、勝手に線引きをしてはいけない。実際にGAKUはいろいろなものを観察して、情報を蓄積して、感性を育ててきた。そしてそれらが彼のセンスとなって、絵に反映されるようになった。

人生を一緒にエンジョイする方法を考えればいい

だから障害を持つ子どもの子育ては、まわりの大人があきらめないことが大切だと思う。小難しく考えたり悩んだりする必要はない。

単純に、どうやったら一緒に人生をエンジョイできるのかを考えていけばいい。だから「子育て」といって力む必要もなく、何事も自然体でいいのではないかなと思う。

GAKUを担当しているココさんは、福祉の「支援者」という概念を持っていない。ココさん自身が興味のあるイベントやブランドのお店にGAKUを連れていっている。アート活動を含めて一緒に楽しい活動をしているといったほうが、正しいだろう。

最近になってGAKUのボキャブラリー(単語数)は増えてきたものの、彼が長文を使って自分の考えをスラスラと話すようになることは、この先もないだろう。今でもGAKUは、自分が感じているフラストレーションやストレスについて説明することができない。