合理的でも人と違うことをするのは不安
【和田】わたしが前頭葉に着目したのは、そこなんですよ。多くの日本人は側頭葉や頭頂葉を使い、本を読んだり数独をしたりと、教養レベルや知的レベルを高めることにはわりと一生懸命なんだけれど、疑問を持つ、今の状況を変えるにはどうすればいいか考える、人と同じことをやっていてはダメだと気がつく、そういった力がとても弱い気がします。日本は変わり者が排除されて、協調性や共感力のある人が評価されるいやな社会だから、タクシー乗り場の行列は、みんなが並んでいるから並ぶということなんでしょう。
【橘】何時間か待てばいずれタクシーは来ると思いますけど、それはわたしみたいな人間が全員、車をつかまえたあとですよね。どれほど不合理でも、人と同じことをしていれば安心できる。逆に、合理的でも人と違うことをするのは不安だ、ということなのかなと思いました。
【和田】子どもに普通に勉強させて成績が上がらないなら、まずやり方を変えないことには現状は打開できないのに、やみくもにもっと努力させるとか、あるいはこの子は勉強には向かないからあきらめるとか、すぐ短絡的になってしまう親がいます。親の前頭葉が働いていないから、子どもに前頭葉教育ができないのです。
全員が同じやり方で勉強しているかぎり、生まれつきの頭の良し悪しを一生逆転できない。でも勉強のしかたを変えれば、勝てるかもしれないじゃないですか。貧乏な人がどんなに“普通に”努力したって逆転できなくても、何か別の突破口を見つけられたら大金持ちになる可能性はある。今、起業して成功している人はたいていそうでしょう。
残りの1%でどう他人と違うことをするかが重要
【和田】橘さんは、ご自身をバカだと思うことはありますか。
【橘】基本、バカの程度が違うだけで、自分も含めてみんなバカだと思っています。『バカと無知』にも書いたように、そもそも人間の認知能力は非常にかぎられていて、すべてのことを理性的に判断するなんてできるわけがない。そう考えると、生きていくうえで99%くらいは他人と同じことをして、判断を自動化したほうがいい。
伝統というのは、多くの人が試行錯誤して「こうやればうまくいく」と経験値を積み上げてきたものなのだから、その知恵を利用すれば認知資源を大幅に節約できる。でも今おっしゃったように、すべてみんなと同じなら差別化ができず、持って生まれた外見、知能、家柄などで人生が決まり、逆転の余地がなくなってしまう。そう考えれば、残りの1%でどう他人と違うことをするかが重要ですよね。基本的に99%はバカというか、他人と同じことをやっていればいい。