年の離れた妹を奴隷のように扱う

「実は、兄3人と私は異母きょうだいです。父が最初に結婚した女性はかなり奔放な人で、一度田舎に嫁いだものの、田舎暮らしが合わずに遊び歩いて、厄介払いされたそうです。その後、父と再婚し、3人の男子を産んだ。それが兄たちです。

ただ、長兄だけ顔の系統が明らかに違うんですよね。ジュード・ロウに似ているというか、フランス人みたいな顔立ちで。その後、兄たちの母は4人目を妊娠したけれど、腕の悪い医者に中絶を頼んだらしく、体調を崩して腸閉塞で亡くなった。そして父が私の母と再婚して、私が生まれました。まあ、母の言うことなのでかなり適当かもしれませんが、私はそう聞かされて育ちました」

長兄・けんさんは美華さんの15歳上、次兄・しゅうさんは12歳上、三兄・みつるさんは10歳上。かなり年の離れた兄たちではある。昭和30年代、父が世田谷に事務所兼自宅の一戸建てを借りて、祖母や叔父とともに住んでいたが、仕事が軌道に乗り、父は自宅を渋谷に移した。

祖母と長兄は世田谷の家に残ったため、美華さんは長兄と暮らした記憶がほとんどない。「謙はかなり早い段階で反抗期に突入し、母に対しても『母親とは認めねえよ』みたいな状態だったそうです。父も忙しくてかまってられないし、祖母と住むほうが面倒臭くないと思ったんでしょうね。初めからそんな調子で、謙と母は今でも折り合いが悪いです。お互いに顔も見たくないという感じ」

秀さんと充さんは渋谷の家で一緒に暮らしていたが、年が離れた幼い妹をかわいがるどころか、意地悪をしたり、奴隷のように扱ったという。

精神的に追い詰められた女性のシルエット
写真=iStock.com/Alexey_M
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3兄弟に跡継ぎは任せられない

「母も悪いんです。息子たちから嫌われたくないから叱らないし、甘やかす。中学生の兄と幼稚園児の私が口論になると、いつも私だけ謝らせたんですよ。『女の子だから謝りなさい、女の子だから手伝いなさい』って。それがすっごく嫌で。男に勝ちたいっていう気持ちが強くなりましたね」

父は早くから美華さんだけを連れ回した。毎週日曜日は場外馬券場へ行き、レースの結果を喫茶店で観る。実際、美華さんにも馬券を買わせて、馬の選び方、競馬新聞の読み方、人気の馬はリターンが悪いなど、競馬のイロハを叩き込んだという。

父が勝つと伊勢丹へ行き、外商担当を呼んで好きなものを買ってくれた。負けたら三越の地下で不機嫌な父と気まずい時間を過ごさなければいけない。お父さんはこの段階で、跡継ぎは美華さんにすることを想定して、外の世界を見せたのではないか。

「小学生のとき『デパートの外商と銀行と取り引きしてもらえるうちが花だぞ、そういう立ち位置を保て』って言われました。ほしいものを買ってもらえるだけではなく、売り場を見て『ここは暇だな、3人多いよ、人が。俺だったら3人削る』とか、『今はこういう商品が売れている』とか教えてくれましたね。よく『お前が男だったらよかったのにな』とも言われました」

今考えても、父は慧眼だったという美華さん。それは兄たちの、連綿と続く不義理や不祥事の数々を経験したからだ。