高校野球の現状と高野連の理想との乖離

地方の県高野連審判部に所属して活動しているある審判員が実情を吐露する。

「批判については、審判である以上受け入れていかなくてはならないでしょう。それはわれわれ審判の宿命だとは思います。

審判が批判されるのは、日本全体が『審判=絶対に間違えてはならない』という文化になっていることも背景にあるかと思います。時代の流れの中で、高校野球の審判『委員』に国民や関係者が何を求めるかを検討していく時がきていると思います。

われわれは些少の審判代で活動しており、交通費や道具代も自己負担、休みの日は家を空けて試合に行きます。審判のなり手も限られているので、平日も頼まれて仕事を休む人も多いです。中には、審判活動が中心になってしまい家庭崩壊した人もいます。なり手が少ないために、この暑い季節にも70歳を超えた方がグラウンドに立ち、審判しています。

そういった実情を知らない野球関係者やメディアが、批判的な意見を出すのではないか、と感じています。処遇改善もさることながら、審判の世間的地位を上げないといけないと感じます。高校野球の現状と高野連が掲げる理想との、かなりの乖離かいりを感じています。高校野球だけでなく、社会全体が昔ながらボランティア精神に頼った運営等では難しい状況になっているのではないでしょうか」

根底にあるのは「勝利至上主義」

スポーツマンシップの考え方では、スポーツは「チームメート」「相手選手」「ルール、競技そのもの」「審判」へのリスペクトが前提となっている。審判の軽視は、スポーツが成立する前提を脅かす。

甲子園を頂点とする高校野球は、トーナメント制により一戦必勝を宿命づけられる。何が何でも勝たないといけないという「勝利至上主義」が、己に不利な判定をした審判へのリスペクトを欠いた抗議につながる。そういう形で審判への軽視、蔑視がつのることが、審判を志望するボランティアの減少につながる。まさに悪循環だ。

あえて言うが、甲子園に出られなくても、人生が終わるわけでも、野球人生が終わるわけでもない。

それよりも大事なことは「正しいスポーツマン」になることではないのか。「スポーツの基本的なルール」を理解し、スポーツと共に人生を生きていくことではないのか。筆者はそう考える。

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