意味なく「超高品質」を目指してしまった
日本の半導体産業は、1980年代に、メインフレーム用に超高品質DRAMを製造して世界シェアの80%を独占した。この時、DRAMメーカー各社の開発センターや工場に、極限技術を追求し、極限品質をつくる技術文化が定着した。1980年代には、それが正義だったため、日本は世界を制覇できたわけだ。
ところが、1990年代になると、コンピュータ業界が、メインフレームからPCへパラダイムシフトした。DRAMの競争力は、「超高品質」から「安価」であることに変わった。しかし、ここで日本は、DRAMのつくり方を変えることができなかった。結果として、過剰技術で過剰品質をつくることになり、大赤字を計上し、撤退するに至った(図表2)。
さらに、1社残った日立とNECの合弁会社のエルピーダは、この高品質病がもっとひどくなり(2005年頃には、マスク枚数は50枚を超えていた)、2012年にあっけなく倒産してしまった。
一方、サムスンはPC用に、適正品質のDRAMを安価に大量生産することに成功し、シェア1位となった。これは、ハーバード・ビジネススクール教授だったクリステンセンが言うところの「イノベーションのジレンマ」の典型例である。超高品質で世界一になった日本が、そこから自らを変えることができなかったため、それより信頼性が劣るサムスンのDRAMに駆逐されていったからだ。
なぜ日本の半導体産業は凋落したのか
問題は、日本がDRAMから撤退し、大規模なロジック半導体(SOC)へ舵を切っても、この高品質病は治らず、より悪化し、重篤化していったことにある(図表3)。DRAMを含む日本のすべての半導体のシェアは、1980年代半ばに約50%でピークアウトして、凋落の一途を辿った。
そのシェアの低下を食い止めようと、主として経産省が主導し、国家プロジェクト、コンソーシアム(共同企業体)、エルピーダやルネサスなどの合弁会社を設立したが、全て失敗した。何一つ、シェアの低下を食い止めることはできなかった。
それはなぜか? その主たる原因は、診断が間違っていたことにある。人は、「咳が出る、熱がある、身体がだるい」という症状が出たら、病院に行って医師の診察を受ける。昨今なら、コロナなのか、インフルエンザか、単なる風邪か、という診断を受け、それをもとに処方箋を出してもらう。
日本の半導体産業も、各社のトップ、産業界、経産省、政府などが、病気の診断を行い、それに基づいて処方箋を作成し、実際に処方した。しかし、全て失敗した。その理由は、診断が間違っていたからである。そのため、その処方箋も的を射ていなかったわけだ。