なぜ日本の温暖化対策は世界に後れを取ってしまったのか。ジャーナリストの山田順さんは「根本的に日本政府の政策には、再エネへの“やる気”が感じられない。さらに、日本のメディアに地球温暖化に対する危機意識が欠如しており、世論が形成されていないことも影響している」という――。

※本稿は、山田順『地球温暖化敗戦 日本経済の絶望未来』(ベストブック)の一部を再編集したものです。

太陽光と風力発電
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約20年前までは太陽光で世界をリード

日本が「環境後進国」「温暖化対策周回遅れ」になってしまった原因の一つに、太陽光をはじめとする再エネを軽視してしまったことがある。これもいま思うと本当に情けないが、2000年代前半までは日本が世界の太陽光発電をリードしていた。

1974年、「オイルショック」の教訓から、石油に代わるエネルギー源を確保しようと、「サンシャイン計画」がつくられた。通商産業省(現経済産業省)主導で巨額の財政援助を技術開発に投じる大型プロジェクトである。

対象となったのは、「太陽光発電」「太陽熱の利用」「風力発電」「潮汐や温度差などの海洋エネルギーの利用」「地熱発電」など、今日、再エネと呼ばれるもののほぼすべてがそこにあった。

しかし、サンシャイン計画は、その後、一時頓挫とんざした。石油価格が落ち着き、新しいエネルギー源への関心が薄れたからだ。それに輪をかけたのが、原子力への期待だった。

補助金による促進策が裏目に出てしまった

当時、石油に代わりえるのは原子力という言説が広まり、「核融合発電が次世代発電の切り札。30年以内に実用可能になる」と言われた。それを思い出すと、イノベーションの未来予測というのは本当に難しいと実感する。

太陽光発電が再注目されたのは1990年代に入って、地球環境問題が世界で議論されるようになってからだ。その結果、サンシャイン計画は「ニューサンシャイン計画」と改名されて、1994年から太陽光発電への補助金制度が始まった。

これによって発電コストが下がり、住宅用の太陽光発電も進展を遂げた。こうして1999年には太陽光パネル生産において、日本メーカーが世界の首位に立った。ここまで、太陽光発電は日本の“お家芸”で、独走状態だったと言っていい。

ところが、2009年に家庭や事業所などで太陽光発電によってつくられた電気の余剰分を電力会社が買い取る「太陽光発電の余剰電力買取制度」がスタート。さらに、東日本大震災後の2012年には、「固定価格買取制度」(FIT法、2017年に改正)がスタートしたというのに、太陽光発電は進展しなかった。

政府としては、補助金制度などで太陽光発電を促進してきたつもりだろうが、その促進策が裏目に出てしまったとしか言いようがない。

その結果、太陽光発電が電源構成に占める比率は10%弱にとどまっている。再エネ全体でも20%弱である。

2022年12月、「IEA」(国際エネルギー機関)は報告書で、「再生可能エネルギーは、2025年初めには石炭を抜いて世界最大の電源になる」との見通しを発表している。