点数や成績のための勉強は当然楽しくない

こうしてパズルを解くことは、金銭報酬をもらうことによって、内発的に動機づけられた行動から外発的に動機づけられた行動へと変質したと考えられる。その証拠に、お金がもらえないときには自発的にパズルを解くことが少なくなったのである。これは、外的報酬がないためにモチベーションが低下したことを意味する。

かみ砕いて言えば、パズルを解くことそのものが目的だったときはパズルを楽しめたのに、報酬をもらうためにパズルを解くようになると、パズル解きは報酬をもらうという目的のための単なる手段となってしまい、パズル解きそのものを楽しめなくなったのである。

これで学校の勉強をあまり楽しめなかった理由がわかったと思う。点数や成績という報酬を得るための手段として学んでいたから、あまり楽しくなかったのだ。

暇つぶしとしての勉強がもっとも純粋で楽しい

若い頃はつまらなかった勉強が、定年退職後に改めて取り組んでみると面白くなったという人がいるのは、もう成果にこだわる必要がなく、学ぶこと自体を楽しめるからだ。わからないことがわかるようになる。知らなかったことを知ることができる。それはワクワクすることのはずだ。

榎本博明『60歳からめきめき元気になる人』(朝日新書)
榎本博明『60歳からめきめき元気になる人』(朝日新書)

学校時代に歴史の勉強が好きでもなかった人が定年退職後に戦国時代の歴史や郷土史の勉強を楽しんでいたり、国語の勉強が苦手だった人が定年退職後に古典文学にはまったりしているのも、成績と関係ない純粋な学びになっているからである。

生産性や効率を重視する世界から解放されたのだから、何かに役立てるための手段としての勉強ではなく、実用的価値のない遊びとしての勉強をしてみれば、ワクワク感を楽しみながら心の世界をどこまでも広げていけるだろう。

ここでわかるのは、暇つぶしとしての勉強が最も純粋な学びであり、最も楽しい学びだということである。暇つぶしとして気になることをいろいろ調べながら学んでいくと、意外に面白いテーマが見つかり、楽しい学びになっていくはずである。

【関連記事】
【第1回】「定年後は妻と楽しく過ごそう」と思っていたのに…まさかの「粗大ゴミ扱い」になる夫たちの悲しい共通点
なぜ「体育の授業で運動が嫌いになった」「大人になってスポーツが楽しい」という人がこれほど多いのか?
友人は何人いれば十分なのか…ハーバードの研究が明らかにした「幸せな人生」のために必要な友人の数
「60代でもセックスができる人」はどこが違うのか…女性医師が教える「肉体の若さ」ではない必須条件
新NISAが始まっても投資に手を出してはいけない…経済学者が「老後に備えるならコレ」と唯一勧める金融商品