受け身な生活から主体的で創造的な生活へ
退屈について考察している西洋古典学者のトゥーヒーは、つぎのような示唆に富む指摘をしている。
「退屈は、知的な面で陳腐になってしまった視点や概念への不満を育てるものであるから、創造性を促進するものでもある。受容されているものを疑問に付し、変化を求めるよう、思想家や芸術家を駆り立てるのだ。」(トゥーヒー著 篠儀直子訳『退屈 息もつかせぬその歴史』青土社)
近頃は、退屈しないように、あらゆる刺激が充満する環境が与えられているが、それでは人々の心はますます受け身になってしまう。自分の思うように動くため、ときに危なっかしくも見えてしまう幼児期のような自発的な動きを取り戻すために、あえて刺激を断ち、退屈で仕方がないといった状況に身を置いてみるのもよいだろう。
そんな状況にどっぷり浸かることで、自分自身の内側から何かが込み上げてくるようになる。それが、与えられた刺激に反応するといった受け身な生活から、主体的で創造的な生活へと転換するきっかけを与えてくれるはずだ。
まずやってみて、向いてなければやめる
やるべきことが詰まっている時間には、想像力が入り込む余地がなく、創造的な生活を生み出すことがしにくい。何もすることがないからこそ、その空白の時間を埋めるべく想像力が働き出し、創造的な生活への歩みが始まるのである。
何か気になるものがあっても、「これはほんとうに自分に向いてるだろうか?」「自分にもうまくできるだろうか?」「続くだろうか?」などと考えて、結局、躊躇してしまうといったことになりがちだ。
だが、職選びではなく趣味や遊びなのだから、そんなに慎重になる必要はないだろう。やってみて自分に向いていないと思えばやめればいい。べつに続かないとダメというわけではない。興味のままに動けばいい。