※本稿は、トム・フィリップス著、禰冝田亜希訳『メガトン級「大失敗」の世界史』(河出文庫)の〈第3章 気やすく生物を移動させたしっぺ返し〉の一部を再編集したものです。
最悪の結果を招いた毛沢東の四害駆除運動
人間の進歩の物語は、思考と創造性に幅が出てきたことに始まる。これが人間とほかの動物との違いだが、同時にこの幅があるせいで、私たちは日ごろからどうしようもないあんぽんたんになってしまうのだ。
生態系は複雑なもので、自然の微妙なバランスを乱せば、かならずや揺り戻しがくる。人類は痛い思いをして、そのことを学んできた。これからする話は、人類史上、後にも先にも例がないほどきわだっている。
毛沢東の四害駆除運動は、過去最悪の公衆衛生の政策で、何もかも破壊することに完璧な成功を収めてしまったものと位置づけるべきだ。この政策は社会のあらゆる面をまとめあげて総力で目標を目ざし、驚嘆すべき度合いで目標をしのいだ。
目標の半分は、ほぼ確実に国民の健康状態を広範にわたって大きく改善した。したがって、四害のうち二つは悪くないと思われるかもしれない。悪かったのは、四つ目の目標が何千万人もの死を招いたことだ。
この問題の根っこは、生態系の複雑さのために予測ができないことにある。そうだね、ちょっと種を一つ、ここに足してみよう、いくつかの種をそこから減らしてみようか、と私たちは思う。そうすれば何もかもがよくなるだろうと。
そのとき、「想定外の結果」が起こって、お友達の「ドミノ効果」や「カスケード故障」を連れてくる。言い換えれば、事態が「わらしべ長者」や「風が吹けば桶屋がもうかる」の厄災版みたいになってきて、皆で仲よく思いあがりのうたげを開くのだ。
国難は生物のせい
1949年の後半に、毛沢東主席の共産主義が中国で権力を掌握すると、国は医療危機に見舞われ、コレラやペスト、マラリアなど感染性の病気がはびこった。毛沢東の目標は、ほんの数十年前に封建主義を脱したばかりの農業国を、一挙に近代の産業大国に変えるというもので、この帳尻を合わせるには何かをする必要があった。
解決策のいくつかは、当たり前で分別あるものだった。集団ワクチンの計画や、衛生状況の改善などである。問題は毛沢東が国難の批判の矛先を生物に向け、国難は生物のせいと決めつけたときに始まった。
蚊はマラリアを広めるし、ドブネズミはペストを広める。ここまでは否定できない。だから、その数を減らすための国家規模の計画が立てられた。まずいことに、毛沢東はそこでやめておかなかった。もしこれが二つの害を撲滅する運動だったなら、計画はうまくいっていたかもしれない。
だが毛沢東は(専門家の意見を訊くこともしないで)ほかの二つの種も加えることにした。槍玉に挙げられたハエは、鬱陶しいからという理由で撲滅されることになった。
四つ目の害は? こともあろうにスズメだった。