あまりにもずさんな情報管理

さらには、ドラマで描かれた家康の「信長を討つ」計画が、あまりにずさんだった。

謀反を起こすなら、計画が事前に漏洩しないことがなによりも大切である。だから光秀の場合、事前に相談した相手は、明智秀満、明智光忠、藤田行政、齋藤利三、溝尾茂朝にかぎられ、はじめて打ち明けたのも、前日の天正10年(1582)6月1日だったとされる(『信長公記』『当代記』など)。

ところが、ドラマの家康は、安土に赴く5月11日以前に、家臣たちを前にして「信長を殺す」と決意を打ち明け、それ以前から服部半蔵や多数の伊賀者を動員し、本能寺周辺を偵察させていた。さらには京都の豪商、茶屋四郎次郎(中村勘九郎)の屋敷を、偵察のための拠点と使っている。

どれだけぬるい情報管理なのだろう。これでは決行のはるか以前に情報が洩れ、家康は窮地に陥るだろう。慎重な家康がこんなずさんな計画に手を染めるはずがない。

錦絵 本能寺焼討之図
錦絵 本能寺焼討之図(画像=楊斎延一/名古屋市所蔵/ブレイズマン/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

子供には見せられない大河ドラマ

また、ドラマでは、家康は信長を討つことだけを考え、嫡男の信忠には言及しない。しかし、信長に対するクーデターは、信忠も一緒に殺さなければ意味をなさない。すでに信忠は家督を譲られ、対武田の最終戦も信忠が仕切るなど、織田家の当主としてすでに認められた存在だったからである。

その信忠は当初、5月28日からの家康の堺見物に同行する予定だったが、信長が29日に上洛するという連絡を27日に受け、急遽、予定を変更して京都に入り、本能寺からの距離が600メートルほどの妙覚寺を宿所にした。しかも、手勢は500名程度だったという。

したがって、光秀がクーデターの決行を決めたのは、信長父子の護衛が手薄で、確実に殺害できそうなメドが立った5月27日以降だと思われる。まさにここしかない一瞬の隙を突いたのである。ドラマの家康のように、信忠には目もくれず、あらかじめ大勢の人を巻き込んで準備を進めるなど、ナンセンス極まりない。

最近、「大河ドラマを子供には見せられない」という話をよく聞く。歴史への誤解を植えつけられてしまうからである。事実、「どうする家康」は「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」のような痛快時代劇だと割り切って見ないと危険なシロモノになってしまった。

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