なぜ明智光秀は織田信長に謀反を起こしたのか。歴史評論家の香原斗志さんは「四国政策の失敗で、光秀が織田家臣団の中で立場を失ったことが大きな要因と考えられる。『どうする家康』で描かれたような、私怨からの行動ではない」という――。
スポットライトが当たっている侍
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家康が「信長を殺す」と発言する驚愕の展開

「信長を殺す。わしは天下をとる」

NHK大河ドラマ「どうする家康」の第26話「ぶらり富士遊覧」(7月9日放送)のラストシーンで、徳川家康(松本潤)は腹の内をこう言葉にした。第27話「安土城の決闘」(7月16日放送)では、それを実現するために手を尽くす様子が描かれた。

この決心に従うか否かでは、さすがに家臣たちの意見は割れたが、酒井忠次(大森南朋)が家康の決断を信じるように諭し、織田信長(岡田准一)を討つための準備がはじまったのである。

家康が「信長を殺す」と口にし、私は驚いたが、それは家康の心根の描写にとどまるもので、まさかその実現に向けて動き出すとは思わなかった。ところが、家康の指示のもと、謀反の準備がほんとうにはじまったから驚愕した。

家康が信長を討つ動機は存在しない

ドラマの場面を具体的に記そう。家康は家臣たちにこんな説明をする。信長は上洛するはずだが防備が手薄なはず。すでに服部半蔵(山田孝之)を調査に忍ばせ、伊賀者を集めてある。信長の宿所は本能寺なので、「信長を本能寺で討つ」と。

有力な武将はみな戦いの前線にいる点でも信長を討つ好機で、唯一やっかいなのは、安土城で家康の饗応役を命じられている明智光秀(酒向芳)だが、「ヤツを遠ざける策も考えておる」と家康。

そして家康は言い放った。「わしはもうだれの指図も受けぬ。だれにもわしの大切なものは奪わせはせぬ」。それを受けて、酒井忠次が家臣たちに説いた。「殿はお心が壊れた。信長を討つ。この3年、その一事のみを支えに、かろうじてお心を保ってこられたのだろう。それを奪うのは、殿から生きる意味を奪うのと同じじゃ」

家康が言う「わしの大切なもの」が、有村架純が演じた正室の築山殿(ドラマでは瀬名)と嫡男の信康(細川佳央太)を指すのは明らかで、家康は2人が死んでから3年間、その恨みを晴らすために「信長を討つ」ことだけを支えに心を保ってきたというのだ。

しかし、プレジデントオンラインにも再三書いたが、宿敵の武田に内通していた2人を死なせる決断をしたのは家康であって、信長に命令された結果ではない。定説にしたがうかぎり、家康が信長を討つ動機は存在しないのである。